幹細胞移植の先駆的研究
幹細胞を使った移植手術による再生治療は、様々な疾病で行われています。
この幹細胞移植の先駆けとなった疾病は眼に関するもの、特に網膜についてのものです。
網膜は眼球の後方に位置する細胞層で、光を感じる機能を持っています。
細胞層には小さな光受容細胞が存在し、この細胞が表面を覆っています。
網膜は視神経と結合しており、角膜や水晶体を通って投影された光、映像を電気信号に変換して脳に伝える役割を持っています。
このメカニズムはよくカメラに例えて説明されます。
角膜はカメラのフィルターの役割を果たし、水晶体はレンズ、網膜は光のセンサーに該当します。
網膜の中央部はやや黄色いために黄斑と呼ばれています。
さらにその中央部には中心窩という名前の点があり、視界の中心にあるものを認識して解析します。
この黄斑部に通常とは異なるもの、例えば血管ができたりすると光受容体の機能が失われ、もっとも認識したいもの、つまり視界の中央部にあるものが認識できない状態になってしまいます。
網膜はいったん損傷すると修復が難しい組織であり、日本における失明の原因で上位を占める緑内障、糖尿病網膜症、網膜色素変性、黄斑変性は、いずれも網膜に障害が起こる疾病です。
網膜を幹細胞移植で治療
損傷した網膜を幹細胞移植によって治療をする研究は、高橋政代博士を中心に行われました。
高橋博士は、2012年より網膜再生医療研究開発プロジェクトのリーダーを務め、このプロジェクトチームは先端医療振興財団の先端医療センター病院の栗本康夫眼科統括部長らとともに2013年8月から滲出型加齢黄斑変性に対する自家iPS細胞由来網膜色素上皮シート移植に関する臨床研究を開始しました。
この移植は2014年9月に行われ、2017年3月には他家iPS細胞由来網膜色素上皮細胞懸濁液による移植を行いました。
高橋博士は1986年に京都大学医学部を卒業し、1992年に京都大学大学院医学研究科博士課程を修了しました。
この時の専攻は視覚病態学で、この時から視覚関連の研究を開始しています。
学位取得後に京都大学医学部助手を経て、1995年にソーク研究所の研究員となります。
ソーク研究所(Salk Institute for Biological Studies)は、1963年にジョナス・ソークによってカリフォルニア州サンディエゴ郊外、ラホヤに設立された私立の非営利法人の生物医学系の研究所です。
カリフォルニア大学サンディエゴ校の隣にあり、ここから産み出される研究論文は世界有数の引用率を誇ります。
アメリカの実力ある研究所は大規模な所が多いのですが、ソーク研究所は少数精鋭であり、研究者の数が1000人以下です。
フランシス・クリック、シドニー・ブレナー、リナート・ダルベッコなどのノーベル受賞者を多数擁し、現役の研究者の中にもノーベル賞候補者が揃っています。
この研究所の創設によってサンディエゴ地区の生物工学産業が活発となり、今やこの地区は世界の生物学産業の中心になっています。
高橋博士はこの研究所で研究しているときに、網膜治療に幹細胞死様の可能性を見出し、帰国後、京都大学医学部附属病院探索医療センター開発部を経て、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの網膜再生医療研究チームのチームリーダーに就任します。
2019年に理化学研究所を退職後にビジョンケアという会社を設立し、社長に就任します。
加齢黄斑変性とは
高橋博士は網膜、特に加齢黄斑変性の治療に力を入れてきましたが、この疾病はどのような疾病なのでしょうか。
加齢黄斑生(AMD: Age-related macular degeneration)は、加齢に伴って眼の網膜にある黄斑部が変性に起こす疾患です。
先に述べたように失明の原因となり得る疾患で、以前は老人性円板状黄斑変性症と呼んでいました。
目のかすみ、視野の中心に視覚障害を起こすなどの症状が見られますが、初期には自覚症状がありません。
時間の経過と共に片目、または両目に段階的な視力の低下を起こすケースもあり、完全な失明を起こすことは稀ですが、中心の視力が失われることによって日常生活が困難になります。
重症度は、初期、中期、後期に分けられ、後期になると萎縮型と滲出型の2つのタイプに分かれ、萎縮型が症例の90 %を占めます。
この疾病には2015年には世界で600万人以上が罹患し、白内障、早産、緑内障についで4番目に多い失明の原因でした。
50歳以上に最も一般的に発生し、黄斑変性は50歳から60歳の0.4 %が罹患、60歳から70歳では0.7 %、70歳から80歳で2.3 %、そして80歳以上では12 %から15 %の人に発生します。
住友ファーマ、2025年度の実用化を目指して治験開始
住友ファーマは大阪府大阪市中央区に本社を置く住友グループの大手製薬会社です。
2005年に大日本製薬と住友製薬が合併して大日本住友製薬株式会社として生まれました。
住友製薬の流れで住友化学の子会社であると共に住友グループの1社であり、2022年に住友ファーマ株式会社に社名を変更しました。
医薬品事業、食品素材・化成品事業、動物用医薬品事業の3つを柱として、いますが、細菌では動物用医薬品事業は子会社の住友ファーマヘルスが担当しています。
医療用医薬品は、高血圧症、狭心症治療薬であるアムロジン、高血圧症治療薬ナトリックス、アバプロ、抗アレルギー剤のエバステル、ジルテックなどのメジャーな薬品を製造、または販売しています。
そして2023年、iPS細胞を使って加齢黄斑変性を治療する治験を2023年度中に開始することを発表しました。
2014年に高橋博士が理化学研究所などで行った臨床研究の治療成果を踏まえて行い、2025年度の実用化を目指します。
住友ファーマは再生医療向けの細胞製品製造の拠点をアメリカに建設することをすでに発表しています。
アメリカでの医薬品販売に必要な製造管理、品質管理基準を満たすレベルを可能とするレベルの設備を準備するために、投資額は約40億円を予定しています。
すでに京都大学が行っているiPS細胞を使ったパーキンソン病の医師主導治験をもとにした製品の準備を進めるために施設を大阪府吹田市に建設しています。
そして今回の研究拠点をアメリカ、ノースカロライナ州に作ることによって複数の拠点を持つことになり、再生医療製品を住友ファーマの主力製品とするために事業を展開させる予定です。
2030年度には再生医療について2000億円規模に売り上げを目指しており、今回の加齢黄斑変性への参入もその一環です。
ここ最近ではグローバルプロジェクトリーダー、研究スタッフ、アカデミックとの共同研究を推進する産学官共同研究スタッフのキャリア職種を集めています。
大学院で修士号、博士号を取得しており、iPS細胞などの幹細胞、器官、臓器の作られ方を研究する発生生物学を専門とする研究者、または薬理研究などの非臨床試験をリーダーとして引っ張った経験が条件とされており、さらにビジネスレベルの英語を求めています。
この人材募集には注意を払うべき事が記述されています。
それは、「iPS細胞の培養、非臨床試験などの実験業務の経験“のみ”は対象外」という点です。
つまり、住友ファーマが必要としている人材は「研究ができる人材」ではなく、「研究ができ、研究チームのマネジメントができる人材」ということになります。
おそらくは早期に再生医療製品化を目指すために、社内の若手を育成するのではなく、外部からリーダーレベルの人材を採用し、一気に事業を進めようという計画でしょう。
再生医療の実用化は、実用化までにはかなりの資金が必要とされますが、難病といわれる疾病の根治が期待できるために長期的考えると医療費の削減につながります。
こうしたこともあり、国、企業、アカデミックは一体となって再生医療の実用化を早期に行おうとしています。