東北大、iPS細胞の軟骨誘導で培養期間の短縮に成功

目次

1. 自然修復が難しい軟骨組織

東北大学大学院史学研究科、分子・再生歯科補綴学分野の新部邦透講師と、江草宏教授のグループは、試験管内で従来よりも迅速かつ効率的に、iPS細胞(人工多能性幹細胞)から軟骨様組織を作る技術を開発しました。

 

軟骨組織は軟骨細胞から形成されていますが、神経と血管が存在しない特殊な組織です。

II型コラーゲン、ヒアルロン酸、プロテオグリカン、アグリカン、水によって構成されているこの組織は、神経と血管が少ないため、一度損傷を受けると修復に必要な栄養が供給されにくい環境にあります。

 

そのため、自然修復が困難な組織であり、関節軟骨が損傷すると、徐々に損傷部周辺の軟骨組織編成が生じ、変形関節症に至ります。

全世界の60歳以上の人口のうち、約10 %が変形性関節症によるなんらかの症状を持っていると推定されています。

 

テレビなどで、コンドロイチン硫酸やヒアルロン酸が高齢者の膝の症状を和らげるという宣伝がよくあります。

特に、軟骨の劣化などで膝の痛みを感じる方向けの宣伝ですが、この宣伝のターゲットは、変形性膝関節症の症状を持つ方、ということになります。

軟骨は動けば動くほどすり減っていきますが、逆に動かないと刺激や運動の不足から関節液から軟骨への栄養補給が滞ってしまいます。

 

昆轟井陳硫酸、グルコサミン、ヒアルロン酸などのサプリメントは抗炎症作用を持つことがあるので、変形性膝関節症の炎症を抑制し、痛みを抑える効果はあるかもしれません。

しかし、すり減ってしまった軟骨を再生する効果はないと考えられています。

現時点では、軟骨を再生させる薬はないのです

 

今世紀に入り、iPS細胞が作られたことにより、再生医療でこの自然修復が難しい軟骨組織の再生ができないかという研究が立ち上がり、これまで多くの研究成果が論文として発表されてきました。

変形性膝関節症は、高齢者の生活の質(QOL)に大きく関与する疾患です。

膝の痛みで出歩くことが少なくなり、引きこもるようになってしまうと、認知症などのリスクが上がります。

それを避けるためにも、高齢者が歩ける身体状態を維持するということは、これからの高齢社会においては重要なポイントなのです。

 

これまでiPS細胞から軟骨細胞へ誘導する方法は数多く報告されているのですが、その培養方法も多くのステップを必要とし、長期間の培養が必要です。

この長期培養の問題を解決したのが今回の研究です。

2. 研究の概略

軟骨細胞への分化誘導を短縮できた培養方法は、ある遺伝子を発現させるベクターをまずiPS細胞に組み込みます。

その細胞を4日間培養しますが、この時は静置培養という培養フラスコを揺らさずに静かに置いておく培養を行います。

 

4日後、iPS細胞が入った培養フラスコを振盪浮遊培養します。

これは、iPS細胞を浮遊させた状態で、培養フラスコを揺らしながら培養する方法です。

この振盪浮遊培養で24日間培養すると、培養フラスコ内に軟骨様組織が出現します。

そして分化誘導された軟骨様組織をラットに移植すると、軟骨の再生が見られました。

 

細かく見ると、この研究の成果は以下の3点になります。

  1. iPS細胞から試験管内で従来よりも迅速かつ効率的に軟骨様組織を作ることに成功しました。
  2. BMP-4遺伝子の発現を制御しながら iPS 細胞を振盪浮遊培養することで、成熟度の高い軟骨様組織を迅速に作製できることを見出しました。
  3. そして分化誘導された軟骨様組織をラットに移植すると、軟骨の再生が見られました。

ポイントは、BMP-4(Bone Morphogenic Protein – 4)という遺伝子をiPS細胞に組み込んだことです。BMPは、骨形成タンパクという日本語訳がされていますので、骨の形成に関与するタンパク質であることはすぐにわかるでしょう。

しかし、実はこのBMPは多くの機能を持っていることが21世紀になって明らかになってきました。

 

3. Bone Morphogenic Protein、骨形成タンパク質とは?

BMPは、もともと骨組織、軟骨の分化を誘導、促進する分子として同定されたタンパク質のグループです。トランスフォーミング増殖因子(Transforming Growth Factor-β:TGF-β)スーパーファミリーに分類される分子で、細胞内で様々なシグナル伝達に関与します。

 

研究が進むに従って様々な機能が発見されました。

まず、両生類などの研究では、受精卵から身体が形成される段階において、背中側と腹側を決定するために重要な分子である事が明らかになっています。

その後も、器官の誘導、パターン形成、そして細胞分化の制御など、個体発生の様々な場面で重要な役割をしていることがわかっています。

 

特に、神経系の発生過程では、神経管、大脳のパターン形成や、ニューロンの個性決定、神経幹細胞の維持、神経と筋の接合形成に関与します。

そのため、BMPシグナルに異常が生じることによって神経系の疾患を引き起こすことが示唆されています。

 

マウスの脳では、神経幹細胞が増殖しながら分化したニューロンを作り出しています。

この時神経幹細胞は、通常の分裂よりもゆっくりと分裂し、緩やかな増殖をします。

この時にBMPがないと、神経幹細胞は通常の速度で分裂するために、ゆっくり増殖する神経幹細胞がなくなってしまいます。

この現象が結果的に産生されるニューロンの数がすくなくなってしまいます。

これは、BMPによる神経幹細胞の維持機能がなくなったためで、BMPは神経幹細胞の維持に重要な役割をしていることがわかります。

 

BMPの機能欠損、減弱によって起こるとされている疾患は、遺伝性痙性対麻痺、筋萎縮性側索硬化症、脊髄性筋萎縮、多発性硬化症などが挙げられます。

骨形成タンパク質として発見されたBMPが神経、脳に重要なタンパク質であることがわかってからは、神経を中心とした研究が盛んでした。

 

そして最近になって、iPS細胞から分化誘導した細胞で再生医療を行うことが研究されるようになり、再生が難しいとされていた軟骨に着目した研究グループが再び骨形成タンパク質としてのBMPに着目するようになりました。

 

4. 軟骨治療とBMP

軟骨組織は軟骨細胞とそれを取り囲む細胞外基質からなります。

その中で関節の軟骨は硝子軟骨から構成され、長骨の骨端部では成長軟骨呼ばれる軟骨の層が一時的に出現します。

この部分は軟骨性骨化という現象によって骨に置換されていきます。

 

関節軟骨は、経年的な摩耗や剥離によって変形性関節症を発症しますが、この治療には保存療法、痛みを除くための物療法、軟骨は変を取り除く関節鏡下手術、人工関節置換治療などがありますが、失った軟骨が多ければ多いほど難治性になってしまいます。

 

今回の研究によって見出された軟骨再生技術は、この難治性の疾患を根本から治療するための第一歩として評価されています。

BMP-4の発現を制御可能なiPS細胞を作成し、その細胞を振盪培養して軟骨細胞に分化誘導、そうすると人工的に軟骨様組織が構築できます。

 

この軟骨様組織をラット膝関節欠損モデルに移植すると関節の軟骨骨組織の再生が確認されました。

さらに、腫瘍化も確認されなかったため、実用化に火なり近い技術がこの研究によって構築できたと言えます。

 

「歩く」という行為は、できるかできないかによって生活の質に大きく影響します。

歩くときに介助が必要な人は、必然的に外出機会も減少しますし、回数も限られたものとなります。

特に関節軟骨の劣化によって高齢者が歩けなくなる、これに対する解決策は非常に重要であることは理解する人は多くてもなかなか議論の表に出てくることはありません。

しかし、医学、科学の分野では、「ヒトの歩く機能を維持するための研究」は近年盛んに行われています。

 

現在ではサプリなどに頼っているヒトが多いのですが、今後10年以内にはiPS細胞を使った軟骨治療によって歩行機能を維持する治療が一般的になるでしょう。

軟骨組織の摩耗、劣化は現在健康なヒトでも必ず起こります。

こういった軟骨組織の再生研究、再生治療の研究にはさらなる注目が集まることが予想されます。

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