ヒトiPS細胞から簡便かつ高効率な骨格筋分化誘導法を開発
愛知医科大学、慶應義塾大学医学部および名古屋大学大学院工学研究科、医学系研究科、京都大学iPS細胞研究所は、共同研究によってiPS細胞から骨格筋を簡便かつ高効率に分化誘導する方法を開発しました。
参加した研究グループの中心は、愛知医科大学加齢医科学研究所神経iPS細胞研究部門/医学部内科学講座(神経内科)の岡田洋平教授、伊藤卓治助教、Muhammad Irfanur Rashid博士課程大学院生らの研究グループです。
開発された方法により、球脊髄性筋萎縮症(SBMA:Spinal and Bulbar Muscular Atrophy)の患者由来iPS細胞から骨格筋を誘導し、病態の一部を再現することに成功しました。
また、電気刺激で筋収縮を示す機能的な三次元骨格筋の構築方法を確立しています。
本研究は、筋疾患モデルの作製が容易とすることに役立ち、今後の治療開発につながることが期待されます。
論文は、Simple and efficient differentiation of human iPSCs into contractible skeletal muscles for muscular disease modelingというタイトルでScientific Reportsに掲載されました。
このタイトルを日本語に訳すと、筋疾患モデルのためのヒトiPS細胞による収縮可能な骨格筋への勘弁かつ効率的な分化誘導、となります。
球脊髄性筋萎縮症とは?
球脊髄性筋萎縮症は、Kennedy病とも呼ばれることがあります。
脳の一部や脊髄の運動神経細胞の障害が原因で、しゃべる、食べもの、飲み物を飲み込む時に使う筋肉や舌の筋肉、さらには手足の筋肉が萎縮す疾病です。
正確な統計情報は出ていませんが、日本全国では2000人から3000人くらいの患者がいると推定されています。
男性のみが発症するとされている疾病ですが、女性の場合には全く発症しないというわけではありません。
女性の場合は、無症状あるいは生活に支障のない程の軽度の運動機能低下にとどまります。
30歳くらいから60歳くらいまでの間に発症するとされています。
原因は、男性ホルモンであるアンドロゲンの受容体である「アンドロゲン受容体」の遺伝子に変異であることがわかっています。
アンドロゲン受容体の遺伝子配列には、塩基がCAGと並んでいる部分が36個以下存在しますが、患者の場合は38個以上繰り返しています。
アンドロゲン受容体の遺伝子は、X染色体、つまり性染色体に存在し、この部分が変異した遺伝子を持っている男性に発症します。
男性の場合、性染色体はX染色体とY染色体1本ずつ持ち、女性の場合はX染色体を2本持っていますが、女性がこの変異をX染色体に持っていても、先ほど述べたように発症しないか軽度の症状で済みます。
この理由は、発症に男性ホルモンが深く関わっているからと予想されています。
遺伝性については、少しややこしいメカニズムになっています。
もし患者の子供が男性の場合は発病しません。
つまり、男性に発症する疾病ですが、子供が男性だった場合は発症のリスクがないわけです。
一方で、患者の子供が女性だった場合は必ず変異遺伝子の保因者となります。
しかし女性であれば無症状、または軽度の症状で済みます。
問題となるのはこの女性から生まれた子供の遺伝子です。
保因者の子供から生まれると、男性であれば2分の1の確率で球脊髄性筋萎縮症を発症し、女性の場合は2分の1で球脊髄性筋萎縮症の保因者となり、リスクが受け継がれていきます。
治療方法としては、男性ホルモンの分泌を抑制するリュープロレリン酢酸塩が新興抑制剤として使われています。
しかし、それほど効果的な治療方法が存在せず、新しい治療方法の確立が望まれています。
症状はゆっくりと進行し、もし40歳代で発症すると、10年程度でむせやすくなり、15年程度で車椅子が必要になります。
むせやすくなると、食べものが誤って気管に入るなどして誤嚥性肺炎を起こしやすくなります。
研究の詳細
ヒト疾患を対象とした病態生理学的解析や創薬には、患者の病態を適切に再現した疾患モデルが必要です。
疾患特異的なヒト人工多能性幹細胞(hiPSC)を罹患細胞型に分化させれば、既存の疾患モデルよりも正確に疾患病態を再現できる可能性があり、多くの疾病解析に用いられています。
筋疾患の場合、モデル化を成功させるには、hiPSCを効率よく骨格筋に分化させる必要があります。
筋への分化において、ドキシサイクリン誘導性MYOD1で形質転換されたhiPSC(MYOD1-hiPSC)は広く用いられていますが、時間と手間のかかるクローン選択を必要とし、クローン変異を克服しなければなりません。
この研究では、バルクのMYOD1-hiPSCはクローン的に樹立されたMYOD1-hiPSCの平均的な分化特性を示し、クローンのばらつきを最小限に抑えることが可能であることが示唆されました。
さらに、脊髄性球脊髄性筋萎縮症の疾患特異的hiPSCは、この方法で効率的に疾患表現型を示す骨格筋に分化させることができ、この方法が疾患解析に応用できることが示唆されています。
最後にこの研究では、バルクのMYOD1-hiPSCから三次元筋肉組織を作製し、電気刺激により収縮力を示し、その機能性を示しています。
このように、この研究グループの開発したバルク分化法は、既存の方法よりも時間と労力がかからず、効率的に収縮可能な骨格筋を作製することができ、筋疾患モデルの作製を促進する可能性があります。
この研究グループが開発した方法のうち、注目すべきは、バルクのMYOD1-hiPSCsから成熟した機能的な骨格筋を誘導できたことです。
単層筋管におけるα-アクチニンとタイチンの発現によって、サルコメアの形成が明らかに示され、ピューロバルクMYOD1-hiPSCs8から3D筋肉組織が作製され、さらに作製した3D筋組織はすべてEPSによる収縮力を示しています。
おおよそ最大収縮力は4.3~21.1μNを示し、この収縮力は、同様のマイクロデバイスを用いて作製した既報のhiPSCやヒト筋芽細胞株(Hu5/KD3)由来の3次元筋肉組織で観察された収縮力と同等かそれ以上、あるいは、解析に用いた細胞数やマイクロデバイスの違いを考慮すると、異なる種類のマイクロデバイスを用いて作製した3次元筋肉組織で観察された収縮力と同等であったことから、バルクのMYOD1-hiPSC由来の筋肉組織が機能的であることが示唆されます。
この研究で示された骨格筋分化は、いくつかの重要な発生過程をスキップするMYOD1の強制発現によって達成されたため、3D筋肉組織の収縮力によって誘導された骨格筋の機能性を実証することは極めて重要であると考えられます。
しかし、一部のhiPSCでは、観察された収縮力は、他のhiPSCやHu5/KD3細胞で観察された収縮力よりもまだ低くなっていました。
加えて、全てのhiPSC由来の3次元筋肉組織は、15日目以降に収縮力の減少を示したが、その理由は、この解析では不明のままです。
従って、さらなる解析のためには、より成熟した収縮可能な筋組織を産生するために、分化系を最適化する必要があります。
従来のヒトiPS細胞からの骨格筋分化誘導方法はクローン選択が重要でした。
しかし今回のバルク培養における骨格筋分化方法によって、機能的な3次元の骨格筋を作成できることが示されました。
既存の方法と比べると、時間と労力がかからず、効率的に筋疾患モデルが作成できます。
この効率化によって、病態解明、治療方法開発の促進につながることが期待されます。
患者数の少ない疾病は、なかなか治療方法が開発されません。
これは、治療方法開発のための研究資金は、どうしても患者数の多い疾病に集中する傾向があるからです。
限られた予算を疾病の治療方法開発に分配する場合は、どうしても患者数の多い疾病に集中して配分されてしまいます。
その中で、iPS細胞の出現は疾病モデルの構築を容易にし、疾病の治療方法開発のための研究コストを下げることに成功しています。
治療方法開発時には、どうしても動物実験を行うことが多いため、時間も労力も必要な取ってしまっていましたが、昨今の細胞工学の発展により、人工的な細胞塊、臓器様の細胞集団が構築できるようになり、効率化への動きが加速しつつあります。