患者ごとの「iPS工場」開所
公益財団法人の京都大学iPS細胞研究財団(京都市)は2025年6月20日、iPS細胞を使用する人の細胞から個別に作って保管する施設「Yanai my iPS製作所」を大阪市内で開所しました。
製造施設部分は延べ床面積1200平方メートルで、iPS細胞の自動培養システムを備え、2025年4月から試験的にiPS細胞の製造を始めていました。
2025年5月に臨床研究用の細胞施設として許可を取得し、研究開発企業などに向けた製造体制を整えました。
患者ごとのiPS細胞 〜マイiPS細胞とは〜
「マイiPS細胞(my iPS cells)」とは、その人自身の体細胞(皮膚や血液など)から作られたiPS細胞のことを指します。
これはいわば「自分専用の万能細胞」であり、その人に完全に適合する再生医療素材です。
まず、基本から確認しましょう。
iPS細胞(induced pluripotent stem cells:人工多能性幹細胞)は、体細胞(例:皮膚細胞)に特定の遺伝子を導入し、受精卵のような未分化状態に初期化した細胞です。
このiPS細胞は、あらゆる体の細胞(神経、心筋、肝臓、血液など)に変化できる能力=「多能性」を持っています。
マイiPS細胞とは自分自身の細胞をもとに作られたiPS細胞です。
まず患者の体細胞(例:皮膚、血液)を採取し、iPS細胞誘導因子(例:OCT3/4, SOX2, KLF4, c-MYC)を導入します。
数週間かけて、培養し、iPS細胞を樹立、このiPS細胞を冷凍保存または必要な細胞へ分化誘導します。
マイiPS細胞にはいくつものメリットがあります。
まずは拒絶反応がないことです。
自分由来なので、移植時に免疫が「異物」と認識せず、移植手術の際に用いられる免疫抑制剤が不要になる可能性もあります。
そして安全性の検証がしやすいことも重要なポイントです。
患者の細胞なので、個別の薬剤感受性試験にも使えます。
さらに、遺伝病やがん患者から作れば、その人の病気を試験管内で再現できます。
そして今回のプロジェクトは、これまで1人あたり数百万円〜数千万円必要だったコストを、自動化・大量製造設備(例:Yanai my iPS製作所)を使うことでコスト削減を実現しています。
さらに、iPS細胞の樹立・検査・保存に数ヶ月かかっていたという課題も、前もって保存しておく「個人用iPSバンク」構想を実現させることですぐに使える体制を整えることが可能です。
以前危惧されていたiPS細胞のがん化リスク、つまり初期のiPS細胞は未分化のため、腫瘍化のリスクがあるという課題については、分化誘導・品質管理技術の高度化で安全性向上中です。
このことを踏まえてマイiPS細胞の応用が計画されています。
例を挙げると、再生医療分野では、脊髄損傷、パーキンソン病、心筋梗塞などへの細胞移植、遺伝病の治療研究では新しい治療法を探る研究。さらにマイiPS細胞からがん組織の類似細胞を作り、その人に合う抗がん剤を選定するという個別治療、そして心筋細胞に分化させて、薬の心毒性を個別に検証するなどの副作用予測です。
マイiPS細胞は、一人ひとりにカスタマイズされた医療(個別化医療)の鍵を握る細胞です。
拒絶反応が少なく、創薬・再生医療・遺伝病研究などに大きな可能性を秘めています。
今回設立された施設、「Yanai my iPS製作所」のように、自動で大量の「マイiPS細胞」を作る体制が整ってくれば、将来的に「自分の細胞を若いうちに保管しておく」という社会も現実味を帯びてきます。
柳井正氏の寄付による設立
この施設は、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長がプロジェクトに賛同し、2021年度から9年間、毎年5億円を寄付することで実現しました。
施設はこの寄付金によって建てられたため同氏の名前を冠しています。
今回の記者会見には柳井正氏も出席し「初めて製作所に来て説明を受けたが、培養技術が素晴らしい。夢がふくらむプロジェクトだ」と述べました。
柳井正氏は、日本を代表する実業家であり、世界的なアパレル企業「ユニクロ」を展開する株式会社ファーストリテイリングの創業者であり、現在は代表取締役会長兼社長です。
柳井正氏は1949年に山口県で生まれ、早稲田大学政治経済学部を卒業後、1973年に父親が創業した衣料品店を引き継ぎました。
当初は経営が非常に厳しく、従業員の多くが辞めるなど困難な状況に直面しましたが、販売や人事、仕入れ、経理といったあらゆる業務を自ら経験しながら経営の基盤を築いていきました。
そこから「ユニクロ」というブランドを立ち上げ、品質と価格のバランスを重視した商品展開により、国内市場で急速に成長させました。
その後、積極的に海外展開を進め、特にアジア市場を中心にグローバルに店舗を拡大し、その結果ユニクロは今や世界的なカジュアル衣料ブランドとなり、ファーストリテイリングは日本を代表するグローバル企業の一つとなっています。
柳井正氏は経営において、デジタル技術を活用した「情報製造小売業」という新しいビジネスモデルへの転換を推進し、組織改革や働き方改革にも力を入れています。
また、失敗を恐れず挑戦し続ける姿勢を貫き、複数回の失敗を経験しながらも成功を掴んだエピソードは多くの経営者やビジネスパーソンに影響を与えています。
さらに、経済界だけでなく教育や社会貢献活動にも積極的に関わり、そのリーダーシップと経営哲学は幅広い分野で尊敬されています。
柳井正氏は、日本のファッション業界を変革し、世界市場で日本企業の存在感を高めた人物として知られています。
マイiPS細胞と個別化医療の関係は?
このマイiPS細胞技術は、個別化医療(プレシジョンメディシン)の発展において極めて重要な役割を果たしています。
個別化医療とは、一人ひとりの患者の遺伝情報や病態、生活環境、さらには薬剤感受性の違いを踏まえ、それぞれに最適化された医療を提供するアプローチです。
マイiPS細胞は、まさにこの「個別の患者に最適な医療」を実現するための強力なツールとなっています。
まず、マイiPS細胞は患者本人由来の細胞であるため、遺伝的背景や個々の病態を正確に反映しています。
これにより、患者の病気のメカニズムを細胞レベルで再現できる病態モデルとして活用することが可能です。
例えば、遺伝性の疾患や難治性の疾患の場合、その患者のマイiPS細胞から作製した細胞を用いて、病気の発症や進行のメカニズムを詳細に解析できます。
こうした解析は、患者ごとに異なる遺伝的な変異や環境要因がどのように病態に影響しているかを理解するうえで非常に有効です。
さらに、マイiPS細胞を用いることで、患者個別に薬剤の効果や副作用を試験することが可能になります。
従来の医療では、同じ疾患であっても患者ごとに薬剤の反応性が大きく異なるため、治療効果の予測や副作用の回避が難しい場合が多くありました。
しかし、マイiPS細胞から分化させた対象臓器の細胞を使い、薬剤を投与してその反応を観察すれば、個々の患者に最も適した薬剤や用量を選択するための重要な情報が得られます。
これにより、副作用を最小限に抑えつつ、最大限の治療効果を目指すことができるのです。
また、マイiPS細胞は再生医療の分野でも個別化医療の実現に大きく貢献しています。
たとえば、心筋梗塞やパーキンソン病、糖尿病などの難治性疾患に対して、患者本人のマイiPS細胞から必要な細胞や組織を分化させ、それを移植することによって損傷した組織の機能回復を図る治療法の開発が進んでいます。
この方法は、患者自身の細胞を用いるため免疫拒絶反応が起こりにくく、移植後の合併症リスクを低減できるという大きなメリットがあります。
これもまた、個別化医療の理念に合致した治療法と言えます。
さらに、マイiPS細胞の技術は新薬開発や治療法の探索にも役立っています。
従来の新薬開発は動物モデルや細胞株を用いることが多いですが、これらは人間の病態を完全には再現できず、多くの新薬候補が臨床試験で失敗する原因ともなっていました。
患者由来のiPS細胞を利用すれば、患者ごとの遺伝的背景や病態を反映した細胞モデルでスクリーニングが可能となり、より効果的で安全性の高い新薬候補の探索が促進されます。
このように、マイiPS細胞は患者一人ひとりの病態を詳細に解析し、それぞれに最適な治療薬や治療法を提供するための基盤技術として、個別化医療の発展に欠かせない役割を果たしています。
将来的には、より多くの疾患でマイiPS細胞を活用した個別化医療が実用化され、患者の生活の質(QOL)向上や医療の効率化に大きく寄与すると期待されています。


