iPS細胞を使って視細胞変性への光暴露の関与を明らかに
iPS細胞を使った再生医療のうち、眼に関する治療方法は最も臨床実装が近いとされています。
視細胞などの眼に関与する細胞をiPS細胞を使って人工的に作成して研究・開発に用いる研究は日本において盛んに行われており、今回新しい知見がまた発表されました。
今回の研究は理化学研究所で行われた研究で、日本各地の研究期間から研究者が参加して実施されました。
研究内容の前に研究のメンバーを見てみましょう。
まず、理化学研究所・バイオリソース研究センターiPS創薬基盤開発チームのチームリーダー 井上 治久博士ですが、京都大学iPS細胞研究所・教授を兼任しています。
そして理化学研究所客員研究員とした参加した今村恵子博士は、京都大学iPS細胞研究所 特定拠点講師を研究しています。
さらに、京都大学大学院医学研究科眼科学講座の大学院生であった大塚悠生博士、他の期間では、関西医科大学医学部 iPS・幹細胞応用医学講座六車恵子教授、京都大学大学院医学研究科眼科学講座辻川明孝教授、国立遺伝学研究所発生遺伝学研究室、川上浩一教授、埼玉医科大学医学部ゲノム応用医学、三谷 幸之介教授が参加しています。
研究内容は、患者由来のiPS細胞から3次元網膜オルガノイドを作製し、ゼブラフィッシュeys変異を作製して解析することにより、光刺激による視細胞の細胞死がEYS関連網膜変性疾患の病態に重要な役割を果たしていることの発見です。
本研究成果は、未知であったEYS関連網膜変性疾患の病態メカニズムを明らかにするとともに、特定の波長光への暴露を遮断することが治療の選択肢の一つになる可能性を示唆しており、「Phototoxicity avoidance is a potential therapeutic approach for retinal dystrophy caused by EYS dysfunction」という論文タイトルで、JCI Insightというジャーナルに発表されました。
研究の背景
日本を含む多くの国では、遺伝性網膜変性疾患(IRD: Inherited retinal dystrophies)の最も多い原因としてEyes shut homolog(EYS)遺伝子の変異が知られています。
ただし、EYSはマウス、ラットなどにおいては喪失しており、哺乳類における研究モデルがないという課題がありました。
遺伝性網膜変性疾患とは、遺伝的要因によって引き起こされる網膜の変性(細胞の機能低下や死滅)を特徴とする一群の疾患です。
網膜は眼の後部にある光感受性組織で、視覚情報を脳に伝達するための重要な役割を担っており、遺伝性網膜変性疾患は、視力低下や失明を引き起こす可能性があります。
主な遺伝性網膜変性疾患には以下のようなものがあります:
- 1. 網膜色素変性症(Retinitis Pigmentosa, RP):最も一般的な遺伝性網膜変性疾患の一つで、夜盲症(夜間の視力低下)や視野狭窄が初期症状として現れます。
進行すると中心視力も低下し、最終的には完全な失明に至ることもある疾患です。
- レーバー先天性黒内障(Leber’s Congenital Amaurosis, LCA):乳幼児期に発症する重篤な視覚障害で、網膜の光受容細胞の異常が原因で、視覚反応が極端に低下します。
- スターガルト病(Stargardt Disease):若年性の網膜変性疾患であり、黄斑部(視力の中心を担当する網膜の部分)の変性により、中心視力が低下します。
- 円錐細胞ジストロフィー(Cone Dystrophy):中心視力や色覚が影響を受け、光に対する過敏症や色覚異常がこの疾患の特徴とされます。
これらの疾患は遺伝的に多様であり、常染色体優性、常染色体劣性、X連鎖などの遺伝形式を持つことがあります。
また、特定の遺伝子の変異が原因で発症することが多く、遺伝子治療などの新しい治療法の研究も進められています。
疾患と大きく関わる視細胞
視細胞は、網膜に存在する光受容細胞で、光を電気信号に変換する役割を持っており、遺伝性網膜変性疾患と密接に関わる細胞です。
これらの電気信号は視神経を通じて脳に送られ、視覚情報として認識されます。
視細胞には、主に2種類あり、錐体細胞(コーン)と杆体細胞(ロッド)と呼ばれ、信号の伝達に重要な役割を果たしています。
まず錐体細胞(Cone cells)は、明るい光の条件下で働き、色の識別と細部の視覚に関与します。
3種類の錐体細胞があり、それぞれ異なる波長の光(赤、緑、青)に対して感受性があります。
この3種類の錐体細胞の組み合わせにより、人間は多様な色を認識できます。
錐体細胞は網膜の中心部(黄斑部)に多く存在し、特に中心窩に密集しています。
これにより、中心視野での高解像度の視覚が可能となります。
杆体細胞(Rod cells)は暗い光の条件下で働き、明暗の違いを識別するのに役立ちます。
色の識別はほとんどできませんが、非常に感度が高く、弱い光でも反応します。
網膜の周辺部に多く存在し、周辺視野の視覚と低照度下での視覚に寄与します。
視細胞は多くの遺伝性および後天性の網膜疾患に関与している事が知られており、視細胞の機能を回復させるための遺伝子治療や細胞治療の研究が進められています。
遺伝性網膜変性疾患は、視細胞が障害され徐々に脱落してしまう進行性の疾患群であり、不可逆的な視力低下を引き起こします。IRDの原因として280以上の遺伝子が報告されていますが、今回研究の対象となったEyes shut homolog(EYS)は、日本を含むさまざまな国で最も頻度の高い原因遺伝子です。
しかし、マウスにおいてはEYS遺伝子が欠損しているなどの理由から哺乳類モデルが存在せず、EYS遺伝子変異によるIRDの病態は十分に解明されていませんでした。
これまでEYSの研究にはゼブラフィッシュが一般的に使用されてきましたが、ヒトと遠縁な種であり、ヒト由来のサンプルを用いた研究が望ましいと考えられていました。
一方、近年ヒトiPS細胞から作製した3次元網膜オルガノイドを利用して、いくつかのIRD原因遺伝子の分子病態が調べられており、網膜オルガノイドのヒト由来の疾患モデルとしての有用性が報告されています。
研究手法と成果
研究グループは、健常者とEYS関連網膜変性疾患の患者から作製したiPS細胞を使用し、180日間分化誘導させることで生体に近い構造を持つ3次元網膜オルガノイドを作製しました。
どちらのiPS細胞から作製したオルガノイドも表層部分に視細胞層が形成され、視細胞の内部には内節、結合線毛、外節の微細構造が形成されました。その形成過程において、健常者由来オルガノイドと患者由来オルガノイドに構造上の差異は認められませんでした。
EYSと同様に夜行性哺乳類で喪失を認めるG-protein-coupled receptor kinase(GRK7)という分子に注目しこの細胞集団の評価を行ったところ、EYSとGRK7は複合体を形成すること、そして患者由来オルガノイドにおいてGRK7の外節への輸送量が低下していることを見いだしました。
GRK7は視細胞外節で光シグナル伝達を遮断することで、順応や光障害からの保護に関与している分子です。
GRK7は視細胞外節において光保護に関与しているため、GRK7の外節への輸送量の低下は光障害を引き起こす可能性があると研究グループは考えました。
そこで網膜オルガノイドに白色のLED光源で光暴露を行いました。その結果、患者由来オルガノイドでは活性酸素が産生され、視細胞の細胞死が誘導されました。
GRK7の局在異常や光暴露後の視細胞の細胞死はeysノックアウトゼブラフィッシュでも同様に確認され、これらのメカニズムが重要であることが示唆されました。
網膜オルガノイドにおける光誘導性の視細胞死評価では、白色LED光源を用いて24時間の光暴露を行いましたが、さらに、より波長域を限局した光源(青、緑、赤色光)を健常者由来と患者由来のオルガノイドに照射して細胞死の程度を評価すると、同じ照度下では青色光が患者由来オルガノイドで最も光誘導性の視細胞死を引き起こしやすいことが分かりました。
これらの結果から、患者由来iPS細胞から作製したEYS変異モデルにおいて、光誘導性の細胞傷害が、EYS関連網膜変性疾患の病態に重要である可能性が示されました。
今後、本研究で得られた知見をもとに、今後、EYS関連網膜変性疾患において、特定の波長光への暴露を減じるなど新たな治療法の開発に役立つことが期待されます。