水疱性角膜症に対するヒトiPS細胞由来細胞移植の安全性と有効性を確認
2025年1月、慶應義塾大学と藤田医科大学の研究グループが、水疱性角膜症の患者に対してヒトiPS細胞由来の角膜内皮代替細胞を移植する臨床研究の結果を発表しました。
この研究は、iPS細胞を用いた角膜内皮細胞の移植による治療法の安全性と有効性を世界で初めて確認したものです。
この研究の意義は、iPS細胞由来の角膜内皮細胞を用いた再生医療が、水疱性角膜症に対して安全かつ有効であることを世界で初めて臨床的に確認した点にあります。
水疱性角膜症は、角膜内皮細胞が機能しなくなって視力が低下する疾患で、従来は角膜移植が唯一の治療法でした。しかし、ドナー角膜の不足が大きな課題となっていました。
この研究成果により、他家iPS細胞由来の角膜内皮代替細胞を作製・移植することで、ドナー角膜に依存せずに治療できる可能性が示されました。今後の再生医療の発展、特に視覚障害の克服に向けた大きな一歩といえます。
水疱性角膜症とは?
水疱性角膜症(すいほうせい かくまくしょう、英:bullous keratopathy)は、角膜内皮細胞の機能不全や減少によって角膜がむくみ、視力が低下する疾患です。
角膜の表面に水疱(ブリスター)ができることからこの名が付いています。
角膜は眼球の最前面にある透明な膜で、光を取り込みピントを合わせるレンズの働きをしています。
角膜内皮細胞は、角膜の最も内側にある一層の細胞で、角膜内の余分な水分を排出し、角膜を透明に保つ重要な役割を担っています。
水疱性角膜症の原因はいくつか特定されており、白内障手術後の合併症、角膜移植後の拒絶反応、先天性または加齢による内皮細胞の減少、フックス角膜内皮ジストロフィー(遺伝性の角膜疾患)で起こります。
症状は、角膜が濁るために視力が低下、またまぶしさを強く感じるようになります。
また、眼に異物感、痛みを感じるケースが多く見られ、進行すると角膜表面に水疱ができ、破れると激しい痛みを感じる場合があります。
さらに朝に視界がかすみ、徐々に回復するパターンも見られます。
治療方法は、まず点眼やコンタクトレンズが上げられますが、症状緩和のみで根本治療ではありません。
角膜移植(特に内皮移植:DSAEK、DMEKなど)という根治治療も存在しますが、ドナー不足が深刻です。
そのため、今回のニュースのように、ヒトiPS細胞から作製した角膜内皮細胞の移植が、安全かつ効果的であることが示されれば、ドナー不足の解消や新しい再生医療の突破口になると期待されています。
水疱性角膜症の詳しい治療方法
水疱性角膜症の治療方法は、病状の進行度や角膜内皮細胞の損傷の程度によって異なります。
ここでは、軽度〜重度に対応した治療法を保存的治療と外科的治療(移植など)に分けて詳しく解説します。
まず保存的治療、初期または手術までの緩和に用いられる治療方法です。
これは症状を和らげることを目的としており、根本治療ではありません。
高張食塩水点眼(Hypertonic saline drops)は、濃度の高い食塩水(5%NaClなど)を使い、角膜の水分を外に引き出す治療方法です。
視力の改善や浮腫の軽減が見込まれますが、効果は一時的です。
人工涙液、潤滑剤は、角膜の乾燥や異物感をやわらげ、眼表面を保護して水疱破裂による痛みを軽減します。
治療用ソフトコンタクトレンズもあり、水疱による痛みを緩和、角膜を物理的に保護する目的で使われます。
その他、抗炎症薬・抗生物質点眼は炎症や二次感染の予防に用いられます。
根治を目的とした外科的治療は、移植が主流です。
まず角膜移植ですが、これは角膜内皮移植が主流になります。
DSAEK(Descemet’s Stripping Automated Endothelial Keratoplasty)という移植方法もあり、この移植は角膜内皮とデスメ膜+薄い実質をドナーから移植します。
利点としては、従来型の角膜移植より回復が早く合併症が少ないことが挙げられます。
また、DMEK(Descemet Membrane Endothelial Keratoplasty)というさらに薄い「デスメ膜+内皮細胞」のみを移植する方法もあります。
この移植は、より自然な角膜構造に近く、視力の回復も良好ですが、手術技術が非常に高度という欠点があります。
さらに全層角膜移植(PKP)という角膜全体を置換する手術があり、重度の瘢痕や感染症例などでは適応されます。
しかしこの移植は拒絶反応や乱視が起きやすいことが欠点です。
そして新しい治療方法として、iPS細胞由来角膜内皮細胞移植があります。
これは、患者本人や他人のiPS細胞から角膜内皮細胞を作成し、手術で患者の角膜内皮層に注入し、自己修復を促すものです。
拒絶反応が少なく、ドナー不足も解消可能ですが、現在は臨床研究段階であり、今回の研究成果はその結果が発表されたものです。
他の外科的アプローチも存在し、熱凝固術(Thermokeratoplasty)というレーザーや熱で角膜上皮を凝固し、水疱を潰す方法があります。
しかしこれは痛み軽減が目的、根治的ではありません。
角膜前面切除(Superficial Keratectomy)も同様に根治を目的としたものではなく、水疱や瘢痕化した角膜上皮を除去し、一時的に痛みを軽減するものです。
治療選択は病状の程度によって判断され、初期〜中等度であれば点眼・コンタクト・人工涙液、これは緩和目的、進行遅延を主目的としています。
中等度以上であれば、DSAEK / DMEKが用いられ、現時点では標準治療、術後回復良好とされています。
そして重度または合併症がある場合は、全層角膜移植が行われますが、先に述べたように乱視や拒絶のリスクがあります。
そして再生医療候補として期待されている治療方法がiPS細胞治療です。
移植治療の困難さとiPS細胞を使った治療方法
従来の治療法は、亡くなったドナーからの角膜移植が主流でしたが、ドナー不足が深刻な課題となっていました。
世界的に角膜移植を待つ患者は約1,270万人規模とされ、ドナー角膜の不足が課題です。。
iPS細胞を用いた角膜内皮細胞移植は、再生医療の最先端を行く治療法であり、特に水疱性角膜症などの角膜内皮障害に対して新しい根治的アプローチを提供するものです。
iPS細胞は、倫理的制約が少なく、自家細胞利用も可能(拒絶反応のリスクが低い)であり、角膜内皮細胞にも分化誘導可能です。
まずiPS細胞の培養(ストックは京都大学iPS細胞研究所などが提供)、特定の増殖因子や培地条件を使って神経堤由来の中間細胞へ誘導します。
さらに角膜内皮細胞様の細胞に分化させる必要がありますが、これらの分化誘導技術は、慶應大学などが確立しています。
iPS細胞の準備、分化誘導が完了し、角膜内皮細胞様細胞に変化するまでに1ヶ月から2ヶ月かかります。
その後、細胞製剤化として医薬品グレードで滅菌・検査済みの製品として製造、これを眼科手術で角膜内皮層に細胞を注入し、自然に定着させます。
この後、数か月〜1年程度、安全性や視力の回復をモニタリングする必要があります。
今回の臨床研究での成果
臨床例として発表されている症例は、73歳の男性で、水疱性角膜症を患っている患者で臨床研究が行われました。
患者は過去に角膜移植を受け、拒絶反応により水疱性角膜症を発症しています。
京都大学iPS細胞研究財団(CiRA_F)で作製されたiPS細胞ストックを、慶應義塾大学病院細胞培養加工施設(KHCPC)で角膜内皮代替細胞に分化させたものを今回使っています。
外科的手術でこのiPS細胞由来内皮細胞を角膜内に注入し、その後の観察で拒絶反応がないことが確認されました。
裸眼視力 0.02から0.07に改善し、矯正視力 0.5まで回復、そして角膜厚や透明度の改善が確認されています。
この研究は、iPS細胞を用いた角膜内皮細胞移植の安全性と有効性を示す初の臨床例であり、ドナー不足の解消や新たな治療法の確立に向けた重要な一歩とされています。
今後、さらなる症例での検証や長期的な安全性・有効性の評価が進められる予定です。
iPS細胞の治療に期待がかかる“眼”の治療
眼科領域では、視機能を回復させるための再生医療において、iPS細胞が非常に注目されています。
今回の水疱性角膜症の治療以外にもいくつかの疾患で実用化を視野に入れた研究が行われています。
その代表例とも言える加齢黄斑変性(AMD: Age-related Macular Degeneration)は、網膜の中心にある黄斑部の網膜色素上皮(RPE)細胞が変性し、視力が低下する病気です。
iPS細胞の応用: 患者や他人のiPS細胞からRPE細胞を分化誘導し、網膜に移植することで視機能の回復を目指しており、理化学研究所・高橋政代教授らのグループが世界初の臨床研究を実施しています。
さらに緑内障や網膜色素変性症などにおいて、iPS細胞から網膜神経細胞や視神経細胞を誘導し、病態解析や薬剤スクリーニング、さらには移植治療の開発が進められています。
そして個別化医療・創薬への応用も考えられており、患者ごとのiPS細胞を用いて疾患モデルを作成し、病態メカニズムの解明やオーダーメイド治療薬の開発が期待されています。
iPS細胞を用いた眼の治療は、ドナー依存からの脱却、拒絶反応の低減(自己iPS細胞の活用)、治療の選択肢の拡大、視覚障害の克服に大きく貢献といった利点があり、再生医療のなかでも眼科領域は特に進展が速く、実用化に最も近い分野の一つとされています。


