iPS網膜研究を大筋承認、厚労省部会「先進医療」検討へ
厚生労働省の再生医療等評価部会は16日、神戸市立神戸アイセンター病院が計画する、iPS細胞から作った網膜の細胞をひも状に加工し、重い目の病気の患者に移植する臨床研究について、大筋で承認しました。
次のステップは、医療費の一部に公的保険が適用される「先進医療」に認めるかの検討です。
神戸市立神戸アイセンター病院が計画するiPS細胞由来の網膜細胞をひも状に加工する技術は、網膜色素変性症や加齢黄斑変性といった網膜疾患の新しい治療法の一環です。
この方法は、単純な「網膜細胞移植」よりも効率的かつ効果的な治療を実現するために工夫されたものです。
これまでのiPS細胞由来網膜細胞移植は細胞シートや細胞懸濁液を使っていました。
細胞シート状にして網膜に貼り付ける、または細胞を懸濁液(液体中の細胞)にして網膜下に注射するという方法です。
しかしこの方法は細胞の生着率や効率が課題でした。
シート状の場合は移植が難しく、折れたりズレたりするリスクがあり、細胞懸濁液の場合は細胞がうまく定着せず、治療効果が安定しませんでした。
そこで考え出されたのがひも状加工の技術です。
iPS細胞から作製した網膜細胞を細長いひものような構造に加工し、これを網膜下に移植する方法がこの技術の柱になります。
この方法の特徴は、均一に並べやすく、生着しやすいために細胞の配置が安定する、手術が比較的短時間で行え、合併症リスクが低下する、つまり移植手技を簡便化できる、 そしてひも状にすることで必要な細胞密度を確保しつつ、酸素や栄養の供給が改善するために細胞生存率が高いという利点があります。
・対象となる疾患
この技術を使った治療の対象となる疾患は網膜に影響を与える疾患です。
この疾患の代表例として網膜色素変性症と加齢黄斑変性が挙げられますが、原因や症状、進行パターンが異なります。
網膜色素変性症(Retinitis Pigmentosa)は遺伝性の進行性疾患で、網膜にある視細胞(特に桿体細胞)が徐々に変性・消失していきます。
日本では約4,000人に1人が罹患する指定難病です。
初期症状:夜盲(暗いところで見えにくくなる)が初期症状として現れ、進行すると周辺視野の欠損(視野が狭くなる=トンネル視野)が起こり、最終的に視力が大きく低下し、失明に至ることもあります。
多くは思春期〜成人初期に発症し、緩やかに進行します。
視野欠損の進行速度は個人差が大きいですが、40〜50歳代で視力低下が顕著になることが多く見られます。
網膜色素変性症は遺伝子異常が主な原因(30以上の関連遺伝子が確認されています)とされ、この遺伝子異常によって視細胞の構造や働きを維持するタンパク質の異常が原因と考えられています。
そして加齢黄斑変性(Age-related Macular Degeneration, AMD)は加齢に伴って黄斑部(網膜の中心部)が変性・損傷する疾患です。
日本では50歳以上の約1%が発症し、高齢化に伴い増加しています。失明原因の上位に位置する疾患です。
視力低下(特に中心視野がぼやける、歪む)、視覚のゆがみ(直線が曲がって見える)が症状の特徴であり、進行すると中心暗点(視野の中央が黒く欠ける)が生じます
加齢黄斑変性はいくつかのタイプに分けられます。
萎縮型(ドライ型)は比較的緩やかに進行し、黄斑部の萎縮が起こります。
日本では約10〜20%がこのタイプとされています。
もう一つは滲出型(ウェット型)で、新生血管(異常な血管)が網膜下に発生し、出血や滲出液が網膜を損傷します。
このタイプは進行が速く、視力が急激に低下することがあります。
原因は加齢、遺伝的要因、生活習慣(喫煙・食生活)などで、これらに伴う抗酸化作用の低下がリスク要因とも言われます。
・網膜色素変性症と加齢黄斑変性の違い
網膜色素変性症と加齢黄斑変性は全く異なる疾患ですが混同されがちです。
この2つの疾患の違いをまとめると、
発症時期が若年期から中年期にわたるのが網膜色素変性症、50歳以上が中心であるものが加齢黄斑変性です。
網膜色素変性症はゆっくり進行しますが、加齢黄斑変性の滲出型は急激に悪化することがあります。
症状にも大きな違いがあり、網膜色素変性症では夜盲、周辺視野の欠損が見られますが、加齢黄斑変性は中心視野の歪み、欠損が起こります。
視野の辺縁部、つまり外側に問題が出てくるものが網膜色素変性症、視野の中心に問題が出てくるものが加齢黄斑変性です。
原因は網膜色素変性症が遺伝的要因がほとんどとされているのに対し、加齢黄斑変性は生活習慣や加齢が原因とされています。
この2つのうち、加齢黄斑変性は抗VEGF薬やレーザー治療と再生医療が治療方法としていますが、網膜色素変性症は現時点では再生医療に頼るしかありません。
現状では網膜色素変性症はiPS細胞を利用した網膜再生医療の開発が急務とされ、加齢黄斑変性は抗VEGF療法(新生血管の増殖を抑制する注射)が標準治療で行われており、今後の発展的な治療として再生医療が期待されています。
神戸アイセンターのひも状網膜細胞は、網膜色素変性症が対象です。
将来的には、全国的にこの技術を普及させ、患者の視力改善やQOL(生活の質)向上を目指し、神戸アイセンターは、視覚再生医療の拠点として、国内外の研究機関と連携しつつ研究開発を進めています。
・再生医療等評価部会とは?
この技術が臨床に応用されるためには、再生医療等評価部会の審査、承認が必須です。
再生医療等評価部会とは、厚生労働省に設置されている専門的な審議会の一部で、再生医療や遺伝子治療などの先進的な医療技術の評価や審査を行う機関です。
正式には「医薬品医療機器等審議会 再生医療等製品部会」の下に設置されている部会の一つで、以下のような役割を担っています。
・再生医療等製品の承認審査:幹細胞治療や遺伝子治療などの再生医療等製品が承認されるかどうかを審議します。
このステップの承認には、有効性・安全性のデータを基に評価が行われます。
・先進医療技術の評価基準策定:再生医療技術の評価基準やガイドラインの策定を支援します。
特にリスクの高い治療法について、安全性の観点から慎重に評価を行います。
・制度運用の助言:医療現場への新技術の導入に際して制度運用の指針を示し、実際の運用方法を検討します。
現在までに審議対象となった例を挙げると、iPS細胞を用いた治療製品の承認審査、遺伝子改変T細胞(CAR-T細胞療法など)の承認可否、バイオマテリアルを利用した組織再生医療の評価があります。
メンバー構成は、再生医療分野の専門家(医学、薬学、生物学)、患者代表者、関連法規や倫理を扱う専門家で、それぞれの立場から議論が進められます。
この部会の議論結果は、日本での再生医療等の普及や、医療現場での安全性確保に大きな影響を与えます。
・先進医療の保険適用
今回の承認を受けて、次は先進医療の保険適用可否について議論が進められます。
先進医療とは、厚生労働省が認定した新しい医療技術で、安全性や有効性を確認する段階にある医療です。
これを受ける際は、保険診療と自由診療を併用する仕組みが取られています。
具体的に先進医療とは、厚生労働省が認めた、科学的な根拠に基づきつつも、標準治療(保険適用の医療)としてはまだ確立されていない最新の医療技術です。
再生医療の他には、遺伝子治療、ロボット手術、重粒子線治療などが代表例として挙げられます。
認定条件は、現行の保険診療では対応が難しい疾病であること、一定の安全性・有効性を示すデータがあることです。
保険適用と先進医療の関係ですが、先進医療は基本的に 「選定療養」の一部です。そのため以下のような仕組みになります。
まず、先進医療の技術料は全額自己負担となりますが、通常の診療部分(診察料・検査費・薬剤費など)は保険適用されます。
重粒子線治療で説明すると、事前検査や入院管理費は保険適用となりますが、治療そのもの(重粒子線照射)の費用は全額自己負担となります。
ではずっとこの体制かというとそうではなく、先進医療は将来的に保険適用になる可能性があります。
保険適用になるステップの第1段階は、先進医療Bとして実施することから始まります。
ここでは医療機関が臨床データを蓄積し、そのデータを厚生労働省で評価します。
次の段階で費用対効果の評価がされ、効果が十分であり、費用対効果も優れている場合、保険適用へ進みます。
この段階で再生医療等評価部会が重要な役割を担います。
これらのステップを経て、保険医療の一環として全国で提供可能になるわけです。
現在までに保険適用された先進医療の例として、緑内障に対する内視鏡下手術、子宮頸がんのHPVワクチン接種、ロボット支援手術(ダビンチ手術)があります。
再生医療の分野でも、iPS細胞を利用した治療が今後保険適用になる可能性があり、今回の神戸アイセンターのプロジェクトはその先駆的なものとして期待されています。


