ストレス暴露後のクロマチン制御による造血幹細胞機能と造血の回復

目次

ストレス暴露後のクロマチン制御による造血幹細胞機能と造血の回復

熊本大学の研究グループは、クロマチンを制御する因子の一つであるHmga2が、造血幹細胞のストレス応答を制御して、造血の回復を促す仕組みを明らかにしました。

 

造血障害からの回復には、骨髄にいる造血幹細胞が欠かせません。

一般的に、ストレスに暴露されると、造血幹細胞は増殖するだけでなく、分化して血液細胞の産生を進めますが、その機序は完全に明らかにはなっていません。

 

今回の研究では、感染症による異物感染ストレス、抗がん剤による薬剤ストレスに焦点を当て、これらの状況下でおこる、血液細胞(赤血球、白血球、血小板)が減少、貧血や感染症に対する抵抗力の低下、出血傾向などの問題のメカニズムを明らかにしました。

 

感染症による血液細胞の減少

感染症が血液細胞に影響を与える場合、以下のようなメカニズムが考えられます。

 

まず骨髄抑制と呼ばれる症状です。

感染症(特にウイルス感染症)は、骨髄での血液細胞産生を直接または間接的に抑制することがあります。

例えば、ウイルスが骨髄細胞に直接感染して損傷させる場合や、炎症反応により産生されたサイトカイン(例:インターフェロン、TNF-αなど)が骨髄細胞の働きを抑える場合があります。

また、パルボウイルスB19は赤血球前駆細胞に感染し、赤血球産生を抑制することが知られています。

 

骨髄細胞の活動が抑制されるだけでなく、一部の感染症では、血液細胞が破壊されることがあります。

例えば、マラリアは赤血球を破壊し、重篤な貧血を引き起こします。

また、ウイルス性疾患では免疫系が誤って自身の血液細胞を攻撃する自己免疫反応が起こることがあります。

さらにデング熱では血小板減少が見られ、出血傾向が高まります。

 

感染症の臓器に対する影響も無視できません。

感染症が原因で脾臓が肥大すると、血液細胞が脾臓に捕捉され、過剰に破壊されることがあります。

これは、赤血球、白血球、血小板のいずれにも影響を与える可能性があります。

 

薬剤による血液細胞の減少

抗がん剤の副作用として、血液細胞の減少がよく見られます。

これは抗がん剤が、がん細胞だけでなく、血液細胞を作る骨髄の正常な細胞にもダメージを与えるためです。

この状態を「骨髄抑制」または「骨髄抑制性貧血」と呼びます。

 

抗がん剤による白血球の減少は非常に一般的で、特に好中球が減少することが多くみられます。

好中球が減少すると、感染症に対する防御力が著しく低下し、致命的な感染症を引き起こすリスクが高まります。

このため、抗がん剤治療中の患者はしばしば感染予防のために抗菌薬や白血球増加剤を投与されます。

 

さらに、抗がん剤は赤血球の産生を抑制し、貧血を引き起こすことがあります。

貧血が進行すると、全身の酸素供給が不足し、倦怠感や息切れなどの症状が現れます。

 

他にも症状は見られ、抗がん剤が血小板を減少させると、出血しやすくなります。

血小板が少ないと、出血が止まりにくくなり、日常生活での小さな怪我や歯茎からの出血、鼻血などが頻発することがあります。

 

・血液細胞の減少に対する治療

感染症や抗がん剤による血液細胞の減少には、いくつかの治療や予防策が存在します。

 

まず、抗がん剤治療中に好中球減少症を予防または治療するために、顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)を使用することがあります。

これにより、白血球の産生を促進し、感染リスクを低減します。

 

重度の貧血や血小板減少症が起こった場合、輸血を行うことで症状を改善します。

これにより、一時的に血液細胞の数が回復します。

しかし根本的な解決にはならないため、継続的な管理が必要です。

 

白血球減少により感染リスクが高まっている患者には、予防的に抗菌薬や抗ウイルス薬が投与されることがあります。

また、実際に感染症を起こした場合には、迅速な治療が必要です。

 

近年のがん治療では、免疫チェックポイント阻害薬などの免疫療法が使用されることが増えていますが、これらの薬剤も副作用として血液細胞の減少を引き起こすことがあります。

免疫療法では、免疫系が過剰に活性化されることで、正常な血液細胞に対しても攻撃が行われ、減少を招くことがあります。

 

感染症や抗がん剤による血液細胞の減少は、重篤な合併症を引き起こす可能性があるため、適切なモニタリングと早期の介入が重要です。

 

治療のカギとなる造血幹細胞

造血幹細胞(hematopoietic stem cells, HSC)は、すべての血液細胞(赤血球、白血球、血小板など)を生み出す能力を持つ多能性の幹細胞です。

これらの幹細胞は主に骨髄に存在し、体の必要に応じてさまざまな血液細胞に分化することで、血液の正常な機能を維持します。

 

まず造血幹細胞は自己複製能という自分自身をコピーして新しい幹細胞を作り出す能力を持ちます。

これにより、体内で造血幹細胞の数が保たれます。

さらに、様々な種類の血液細胞に分化する能力があります。

これには、酸素を運ぶ赤血球、免疫を担う白血球、血液の凝固を助ける血小板が含まれます。

 

造血幹細胞は分裂して新しい幹細胞を生み出すことができる一方で、同時に特定の血液細胞へと分化することも可能です。

これにより、長期にわたって血液の供給が途絶えないように維持されています。

 

造血幹細胞は、白血病やその他の血液疾患の治療において重要な役割を果たしており、特に「骨髄移植」や「造血幹細胞移植」と呼ばれる治療法で使用されます。

この治療法は、患者の病んだ造血系を健康な造血幹細胞で置き換えることを目的としています。

 

造血幹細胞の分化メカニズムは、さまざまなシグナルと分子メカニズムが複雑に絡み合い、特定の血液細胞(赤血球、白血球、血小板など)に分化していくプロセスです。

このメカニズムは、以下のようなステップで進行します。

 

・自己複製と分化のバランス:造血幹細胞には、自己複製と分化の二つの性質があります。

自己複製により新しい造血幹細胞が生成され、一方で分化によってさまざまな血液細胞が生まれます。

このバランスは、体内のシグナルや環境に応じて厳密に調整されています。

 

・造血系前駆細胞への分化:造血幹細胞が分化を開始すると、まずは多能性前駆細胞(multipotent progenitors, MPP)へと分化します。

この細胞は、まだすべての血液細胞に分化する能力を持っていますが、自己複製能力は低下しています。

 

最後に、多能性前駆細胞は二つの大きな系統に分かれます:

・リンパ系前駆細胞(CLP): リンパ系の血液細胞に分化します。

これには、T細胞、B細胞、ナチュラルキラー(NK)細胞などの免疫細胞が含まれます。

・骨髄系前駆細胞(CMP): 赤血球、血小板、マクロファージ、好中球など、他のさまざまな血液細胞に分化します。

 

造血幹細胞の分化は、様々なサイトカインや成長因子、転写因子によって制御されています。

これらの因子が細胞に特定のシグナルを送り、どのタイプの血液細胞へ分化するかを決定します。

 

また造血幹細胞は、骨髄内のニッチと呼ばれる特殊な微小環境に存在します。

このニッチは、造血幹細胞の分化や自己複製を制御するための重要なシグナルを供給します。ニッチ内の細胞や分子が、造血幹細胞にシグナルを送り、分化の方向性を決定づけます。

 

造血幹細胞の分化は、多段階のプロセスであり、骨髄の環境やシグナル、転写因子などによって精密に制御されています。

このメカニズムにより、体は必要に応じて特定の血液細胞を供給し、健康な血液システムを維持しています。

また、この分化メカニズムの異常が、白血病などの血液疾患の原因となることもあります。

 

HMGA2タンパク質

今回の研究では、非常に増殖する胎児の造血幹細胞で高く発現している Hmga2遺伝子に着目しました。

Hmga2はHMGA2タンパク質をコードする遺伝子です。

 

HMGA2(High Mobility Group AT-hook 2)タンパク質は、細胞の成長や分化、発生過程に関与するタンパク質であり、特に遺伝子の転写調節に重要な役割を果たします。

HMGA2は、ヒトや他の哺乳類において発現が厳密に制御されており、正常な細胞では主に胎児期や初期の発生過程で高く発現し、成体になるとその発現は減少します。

 

HMGA2は、DNA結合タンパク質の一種で、主にATフックモチーフと呼ばれる構造を通じてDNAのATリッチ領域に結合します。

この結合により、DNAの立体構造を変化させ、他の転写因子がDNAに結合しやすくしたり、逆に結合を阻害したりすることで、特定の遺伝子の発現を調節します。

 

HMGA2の主な機能と役割は、まず細胞増殖の調節が挙げられます。

HMGA2は細胞の増殖に深く関与しており、発生期や幹細胞の増殖時に特に重要な役割を果たします。

特に、造血幹細胞や神経幹細胞の増殖に関連しています。

 

また、発生過程や細胞分化にも関与しており、特に多能性幹細胞が特定の細胞に分化する際にそのプロセスを調節します。

 

さらに、HMGA2は、がんとの関連でも注目されています。HMGA2が過剰に発現すると、細胞の増殖が制御されなくなり、腫瘍形成に寄与することがあります。

例えば、乳がんや肺がん、甲状腺がんなどの多くのがんにおいて、HMGA2の異常発現が確認されています。

 

そしてエピジェネティックな役割も重要です。

HMGA2は、クロマチン(DNAとヒストンなどのタンパク質が結合してできる構造)の構造を変化させることで、遺伝子発現のエピジェネティックな調節にも関わります。

このため、特定の遺伝子がどのタイミングで、どの程度発現するかを制御する重要な要素となっています。

 

HMGA2の発現異常は、特定の疾患や腫瘍と強く関連しています。例えば、以下の疾患でHMGA2が関与しているとされています:

 

・がん: 前述のように、HMGA2の過剰発現は腫瘍形成に寄与します。

特に、良性腫瘍(例:脂肪腫や線維腫)や悪性腫瘍の進行において、その発現が高くなることが確認されています。

 

・発生異常: 胎児の発生過程でHMGA2の機能が障害されると、成長や器官形成に異常が生じる可能性があります。

 

・幹細胞の自己複製: 幹細胞の増殖と分化のバランスを調節するため、HMGA2の異常は幹細胞の機能不全や異常増殖に繋がる可能性があります。

 

今回の研究では、まず胎児に比べて、成人の造血幹細胞では、Hmga2遺伝子の発現は低下していることを突破口としました。

まずHmga2遺伝子の高発現を誘導できるコンディショナルノックインマウスと、Hmga2遺伝子を欠損できるコンディショナルノックアウトマウスを作製しました。

これらの遺伝子改変マウスを用いて、ストレスのない定常状態と、抗がん剤や炎症性サイトカインに暴露されたストレス状況での造血幹細胞の細胞機能とHmga2の作用機序を解析し、今回の結果を得ることができました。

 

今回の研究で、定常状態においては、Hmga2は、成体の造血幹細胞や造血にとって不可欠でないことがわかりました。

一方で、抗がん剤投与などのストレス状況では、造血幹細胞や造血の回復を速やかに進めることが明らかになりました。

つまり、緊急事態にHMGA2タンパク質の機能が発揮されるということです。

 

その仕組みとして、造血幹細胞が、TNF-aといった炎症性サイトカインに暴露されると、細胞内でカゼインキナーゼ(CK2)によって、HMGA2タンパクがリン酸化されます。

このリン酸化によって、炎症応答を抑えるようにクロマチンに結合して、炎症関連転写因子の機能を抑制しました。

一方、造血幹細胞の増殖(自己複製)や血小板の産生を進めるためのHMGA2のクロマチンヘの結合や遺伝子発現の活性化には、HMGA2のリン酸化は関わっていませんでした。

 

今回の研究はヒトではなく、遺伝子改変マウスを使ったものですが、造血幹細胞のHMGA2によるストレス応答機序を応用することで、ヒトの重症感染症やがん治療後の造血不全状態に対して、速やかに造血を回復する治療法開発が期待されます。

 

目次