iPS細胞を用いた心筋再生治療薬の第I/II相LAPiS試験における10例目の投与完了を発表
Heartseed株式会社は、虚血性心疾患に伴う重症心不全を対象とする他家iPS細胞由来心筋球(開発番号:HS-001)の国内第I/II相治験(LAPiS試験)において、10例目の投与を実施し、患者組み入れが全て完了したことを発表しました
治験用のiPS細胞由来心筋細胞・心筋球の製造はHeartseed株式会社から株式会社ニコン・セル・イノベーションが受託しています。
株式会社ニコン・セル・イノベーションは株式会社ニコンの子会社です。
株式会社ニコン(Nikon Corporation)は、日本を代表する光学機器メーカーで、主に カメラ、光学機器、半導体製造装置 などを手掛けています。
創業は1917年で、もともとは光学ガラスの製造からスタートしました。現在はヘルスケア・医療分野などにも進出し、グローバルな事業を展開しています。
近年は、カメラ市場の縮小を受けてヘルスケア分野や産業用途の光学技術へ事業を拡大しており、顕微鏡や再生医療関連技術の進化に伴い、ライフサイエンス分野でのプレゼンスも高まっています。
他家iPS細胞由来心筋球とは?
他家iPS細胞由来心筋球とは、他人のiPS細胞から分化させて作製された心筋細胞の集合体(心筋球)のことを指します。
iPS細胞は、体細胞(皮膚や血液細胞など)に遺伝子を導入して、胚性幹細胞(ES細胞)と同様の多能性を持たせた細胞であり、この細胞はさまざまな細胞や組織に分化できます。
その中で他家iPS細胞とは「他家」とは、患者本人以外の人から得たiPS細胞を指します。
他家iPS細胞は「自己iPS細胞」とは異なり、他人由来の細胞であるため、移植時に拒絶反応が生じるリスクがあります。
ただし、免疫寛容性の高い細胞を持つドナーを選ぶことで、拒絶反応を最小限にする取り組みも進んでいます(HLAホモ接合型iPS細胞の利用など)。
心筋球は、心筋細胞が集まった立体的な細胞塊のことです。これらは拍動する心筋細胞の機能を持ち、心筋再生研究や創薬スクリーニング、毒性試験に用いられます。
現在他家iPS細胞由来心筋球は、主に治療法の研究や薬剤効果の評価に使われ、将来的には、心不全治療や心筋梗塞後の再生医療での応用が期待されています。
当然、この他家iPS心筋球にはメリットとデメリットがあります。
まずメリットとしては、他人由来のiPS細胞を使うため、迅速な作製が可能、自己iPS細胞作製より安価であり、これはコスト削減につながること、そして大規模なバンク構築が進行中であることが挙げられます。
一方でデメリットは、他人由来のiPS細胞を使うため拒絶反応のリスクがあること、それに関連して長期的な免疫抑制が必要になる場合があること、個人に最適化する必要があることなどが挙げられます。
再生医療では心筋細胞の移植による心不全治療への応用が期待され、他にも創薬スクリーニングでの新しい心疾患治療薬の開発、 毒性試験での薬剤の心毒性評価への利用が期待されています。
第I相、第II相治験とは?
今回発表されたのは国内第I/II相治験についてのものですが、第I相試験、第II相試験とはどういう試験なのでしょうか。
第I/II相治験(Phase I/II clinical trial)は、治験(臨床試験)の段階の一つで、第I相(安全性評価)と第II相(有効性評価)の目的を統合して行うものです。
再生医療や希少疾患の治療法では、このような統合型治験がよく実施されます。
治験の一般的な段階を見てみましょう。
治験は一般的に、第I、第II、第III相の3つから構成されています。
まず第I相治験(Phase I)の目的は安全性と初期の有効性、投与量の確認、対象は健康な成人または少数の患者、そして内容は副作用の有無や薬の代謝・排泄の確認(主に安全性評価)とされます。
第II相治験(Phase II)の目的は治療効果(有効性)の検証と最適な投与量の確認、対象は数十〜数百名の患者となり、内容は効果と副作用を継続的に評価することです。
そして最終段階の第III相治験(Phase III)の目的は、有効性と安全性の最終確認(承認申請のためのデータ収集)、対象は数百〜数千名の患者と規模が大きくなり、内容は既存の治療法との比較も行われることとなります。
そして第I/II相治験と呼ばれる統合型治験の特徴は、第I相と第II相を1つにまとめることで、治験の期間短縮が可能という点がまず挙げられます。
特に再生医療や希少疾患では、患者数が限られるため、この形式が採用される傾向があります。
目的は安全性(第I相)と初期の有効性(第II相)を同時に評価、さらに投与量の最適化や効果の持続性の調査となります。
対象者は、健康な成人ではなく、通常は対象疾患を持つ患者が参加します。
再生医療製品(iPS細胞由来心筋球など)の場合も、直接患者を対象とします。
LAPiS試験とはどういう試験か?
LAPiS試験とは、他家iPS細胞由来心筋球を用いた心不全再生医療の臨床試験です。正式名称は「LAPiS Study(Lattice surgery with Allogeneic iPS-derived Cardiomyocyte Spheres Study)」です。
この試験は、日本で進められている最先端の再生医療プロジェクトであり、主に心不全患者に対する治療を目的としています。Lattice手術という特殊な移植手法を用いて、他家iPS細胞由来の心筋球(Cardiomyocyte Spheres)を患者の心臓に移植します。
Heartseed株式会社のLAPiS試験も第I/II相治験として進行中であり、以下が主な目的です。
まず第I相の目的は、HS-001(iPS細胞由来心筋球移植)の安全性確認(拒絶反応や不整脈の有無)であり、第II相の目的は移植された心筋球の心機能改善効果の評価です。
この試験にもメリットとデメリットが存在します。
メリットとしては、治験のスピードが速い、患者数が少なくても実施可能、そして再生医療や希少疾患に適しています。
一方デメリットとしては、試験の設計が複雑、安全性と有効性の両方を慎重に評価する必要があること、そしてデータが不十分な場合、追加治験が必要という点が挙げられます。
Heartseedが行っていること
今回の発表された治験は、Heartseed株式会社が中心となって進められます。
Heartseed株式会社は、心筋再生医療を専門とする日本のバイオベンチャー企業です。
他家iPS細胞由来心筋細胞(心筋球)を用いた重症心不全の再生医療を開発しています。
2015年に大阪大学心臓血管外科の澤芳樹教授らによって設立され、心不全治療用iPS細胞由来心筋球(HS-001)の開発を主な事業としています。
現在進行中のHeartseedの主なプロジェクトとして2つの研究計画が柱となっています。
まず1つ目は、今回の治験の中心を成すHS-001(iPS細胞由来心筋球移植)です。
これはLAPiS試験の中心的な治療製品です。
HS-001は、他家iPS細胞から分化誘導した心筋球(Cardiomyocyte Spheres)で、これを心不全患者の心臓に移植し、心機能を回復させることを目的としています。
心筋細胞が拍動機能を維持しながら増殖し、心筋補充効果を発揮するという特徴があります。
2つ目はLattice Surgery(ラティス手術)です。
この手術は澤芳樹教授が開発した移植法で、心筋球を心臓表面に格子状(lattice pattern)に配置することで、効果を最大化する手法です。
均一な移植が可能なため、心機能改善の再現性が高いとされています。
Heartseed株式会社は、大阪大学および京都大学iPS細胞研究所(CiRA)と連携して先進的な再生医療技術を用いた重症心不全治療の実用化を目指す企業です。
ニコン・セル・イノベーション株式会社(Nikon Cell Innovation Co., Ltd.)は、再生医療や細胞治療の分野でサービスを提供する、ニコン株式会社の子会社です。
主に細胞製造受託サービス(CDMO: Contract Development and Manufacturing Organization)を展開しており、再生医療製品の開発や製造支援を行っています。
主な事業領域を再生医療等製品の受託製造、細胞培養・製造技術開発、品質管理・安全性評価とし、柱となっている細胞製造受託サービス(CDMO事業)では、医療機関やバイオベンチャー企業に対して、iPS細胞由来の細胞製品や幹細胞製品の製造を受託しています。
製造プロセスの開発からスケールアップ、品質管理(GMP準拠)まで一貫して対応していることが強みです。
また、特徴としてニコンの光学技術とバイオテクノロジーを融合し、細胞観察やモニタリング技術に強みを持つ事が挙げられます。
GMP準拠の細胞培養施設(つくば工場)を有し、大規模な細胞製造が可能であり、現在は再生医療の分野で、日本だけでなくグローバル展開も視野に入れています。
他家iPS細胞由来心筋球の今後
他家iPS細胞由来心筋球は、再生医療分野で非常に注目される技術です。
これを用いた治療法は、心筋梗塞や重症心不全の新たな治療オプションとして期待されます。
他家iPS細胞は、患者自身の細胞ではなく、他者から提供されたiPS細胞を利用します。
そのため、HLAホモドナー細胞バンクの構築と普及が必要です。
HLA型が一致するドナー細胞を用いることで、免疫拒絶反応を最小限に抑えた心筋球移植が可能になります。
現在日本では「iPS細胞ストック計画」に基づき、HLAホモドナー細胞の備蓄が進んでいます。
HLA一致率が高いiPS細胞を使用すれば、全体の80%以上の患者に対応できると見込まれています。
このハードルをクリアすれば、他家iPS細胞由来心筋球は、製品化されれば標準治療として普及する可能性があります。
量産・保存技術が確立されれば、患者ごとの細胞作製を省き、すぐに治療が開始できますが、この実現には 凍結保存と品質管理の技術向上が鍵となるでしょう。
さらに他家iPS細胞由来心筋球は、薬物治療や機械的補助(人工心臓など)との併用も検討されています。
心筋再生と循環補助の組み合わせで重症心不全への効果が高まる可能性があり、遺伝子改変心筋球による、より高機能な治療が開発されるかもしれません。
そして細胞培養プロセスのAI自動化により、製造の安定性が向上し、高品質な心筋球の低コスト供給が実現され、個別最適化された細胞治療計画がAIで提案される時代が来る可能性があります。
高コストな個別細胞作製が不要となれば、再生医療がより多くの患者に届く可能性があります。
他家iPS細胞由来心筋球は、迅速かつ標準化された治療の実現に向けた重要なステップです。
今後、HLAホモドナー細胞バンクの拡充や製造技術の進化により、コストや安全性の課題が克服されれば、再生医療が心臓疾患治療の新しい常識となる未来が見えてきます。


