動物成分を全く含まない、植物素材のみでヒト幹細胞の制御培養に成功

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細胞培養に新しい流れ

iPS細胞を始めとして、「培養細胞」は、その増殖と維持の方法が確立されていますが様々な問題があります。

その問題の1つに、動物成分由来の培養器材、培養液関連製品が必要というものがあります。

 

近年、免疫拒絶や感染リスクの観点から、動物成分を全く含まない(Xeno-free,ゼノフリー)細胞培養基材が望まれていました。

今回、九州大学大学院生物資源環境科学府の修士課程2年の甲斐理智氏、大学院農学研究院の畠山真由美助教、北岡拓也教授、そして横河電気株式会社の岩本伸一朗博士らの研究グループが、動物成分を全く含まない培養器材の制作に成功しました。

 

研究では、樹木由来のセルロースナノファイバーの表面特異的に生体官能基を導入することで、動物由来成分を全く使うことなく、ヒトの腸骨骨髄から採取した間葉系幹細胞のゼノフリー培養に成功しています。

つまり、従来の動物由来コラーゲンに匹敵する培養効率を、植物成分のみで達成しました。

 

細胞培養のコスト

細胞培養のコストは、使用する材料や機器、技術、培養のスケール、培養する細胞の種類などによって大きく変わります。

以下に、細胞培養に関連する主なコスト要素を挙げます。

 

・培養液:細胞培養に使用する培養基(例:DMEM、RPMI-1640など)は、実験のスケールによって費用が大きくなります。

特に血清(FBSなど)を含む培養基は高価であり、これがコストの大部分を占めます。

例えば、血清は500mLで数万円以上することがあります。

 

そして細胞の特定の性質を維持するために添加する成長因子やサプリメントも高価であり、βFGFなどの成長因子はミリグラム単位で数万円になることがあります。

そして培養のコンタミネーションを防ぐために使用される抗生物質(ペニシリン、ストレプトマイシンなど)も日常的に必要です。

 

消耗品としては、培養フラスコ・プレート、フィルター・試験管・チューブがあり、培養機器として、二酸化炭素のインキュベーター、バイオハザードキャビネット、そして顕微鏡・自動細胞カウンターも必要です。

 

他にも、研究者・技術者の給与、実験室の設置・維持のコスト、クリーンルームやラボスペースの維持費、光熱費なども大きなコスト要素です。

そして細胞培養から生じるバイオ廃棄物の処理費用も必要です。

 

さらにiPS細胞では産業化への動きが盛んですが、研究室規模から産業規模へのスケールアップを行う際には、バイオリアクターなどの設備が必要となり、これに伴うコストはさらに増加します。

 

iPS細胞の培養は特にコストがかかる例で、フィーダーフリー培養に必要な成分、特に高品質の血清や成長因子は非常に高価であり、1回の培養実験で数十万円に達することもあります。

また、iPS細胞の作製自体も遺伝子導入に必要な試薬や機器が高額です。

 

研究規模や目的によりますが、細胞培養の年間コストは数百万から数千万円に及ぶことがあります。

特に大型プロジェクトや産業スケールの細胞培養では、数億円以上の投資が必要になることもあります。

 

これらのコストを抑えるためには、無駄を減らす工夫や、培養技術の効率化が重要です。また、血清フリーの培地や自動化技術の導入によってコストを削減する取り組みも進んでいます。

 

iPS細胞の培養に必要なもの

iPS細胞を培養するためには、以下に挙げるものが必要です。

 

まず培養基、培養液などです。

iPS細胞の培養には、通常、フィーダー細胞の上での培養やフィーダーフリー条件での培養が行われます。

フィーダー細胞の場合、マウス由来の線維芽細胞がよく使用されます。

 

フィーダーフリー条件では、特定の成分を含む培養液が使われます。たとえば、βFGF(塩基性線維芽細胞成長因子)やTGF-β、LIF(白血病阻止因子)などが含まれる培養液が一般的です。

 

そしてiPS細胞を培養皿に固定するために、基材としてマトリゲルやフィブロネクチン、ビトロネクチンなどのコーティング材が使われます。

 

培養液中で培養された細胞は、特定の環境の下で培養されなければなりません。

CO2インキュベーターが用いられ、5%程度のCO2濃度と37°Cの温度が培養に必要です。

 

そして細胞培養時のコンタミネーションを防ぐために、ペニシリン・ストレプトマイシンなどの抗生物質を培養液に加えることが一般的です。

 

その後、細胞の状態を定期的に観察し、必要に応じて培養液の交換や、細胞を継代します。

そしてiPS細胞を作製する際には、通常、ウイルスベクターを使って4つの因子(Oct4、Sox2、Klf4、c-Myc)を導入することが多く、この遺伝子関連の試薬も必要です。

 

細胞培養液

iPS細胞培養に必要なものを前述しましたが、ここでiPS細胞以外の培養細胞の培養にも必要な「細胞培養液」を詳しく見てみましょう。

 

細胞培養液とは、細胞を体外で培養するために必要な栄養素や成分を含んだ液体のことです。

細胞培養液は、細胞が生存し、増殖し、正常な機能を維持するために必要な要素を提供します。

 

この細胞培養液には以下のような主な成分が含まれています:

 

まず基本成分は、タンパク質合成に必要な成分であるアミノ酸、細胞の代謝に必要なビタミン類、浸透圧の調整や酵素反応に関与する無機塩類、細胞のエネルギー源であるグルコースです。

さらにpHを一定に保つための成分が含まれています。

 

この細胞培養液だけでは細胞は成長、増殖しません。

そのため、成長因子などが含まれる牛胎児血清(FBS:Fetal Bovine Serum)がよく使用され、成長因子、ホルモン、脂質、付着因子などを提供します。

これが動物由来成分の中でも主要な成分です。

 

血清フリーの培地もありますが、その場合は、必要な成分を個別に添加する必要があります。

 

細胞の増殖や分化を促進するために、血清に含まれている成長因子の他に、特定の成長因子が添加されることがあります。

 

細胞培養液は、培養する細胞の種類や目的に応じて異なるものが使用されます。以下は一般的な培地の例です:

 

DMEM(Dulbecco’s Modified Eagle Medium)、これは多くの哺乳類細胞の培養に使われる基本的な培地です。

RPMI-1640はリンパ球やハイブリドーマの培養によく使用されます。

そしてF12培地は神経細胞や他の特定の細胞の培養に使用されることが多い培養液です。

 

血清(FBS)について

細胞培養に使用する血清(Serum)は、細胞の成長や増殖、分化に必要な栄養素や因子を豊富に含んだ培養液の一部です。

血清は動物の血液から血液凝固因子を除去して得られる液体成分で、特に牛胎児血清(FBS: Fetal Bovine Serum)が広く使用されています。

 

血清には、以下のような成分が含まれています

 

細胞の増殖や分化を促進するタンパク質やペプチド(例:EGF, bFGF, PDGFなど)がまず重要です。

そして細胞の代謝や成長を調整するために、ホルモン(例:インスリン、コルチゾールなど)が含まれています。

 

血清はアルブミンやグロブリンなど、細胞の栄養源や保護因子として機能するタンパク質が豊富です。

これらの成分も細胞培養には重要です。

 

一般的に細胞は培養皿の底に張り付いたじょうたいで培養されています。

血清にはフィブロネクチンやビトロネクチンなど、細胞が培養皿に付着するために必要な因子が含まれています。

 

他にも脂質・ビタミン・ミネラルという細胞の成長や機能維持に必要な栄養素が含まれています。

 

血清の役割はいくつもあります。

 

まず栄養供給、細胞に必要な栄養素を提供する役割があります。

また、成長因子やホルモンにより、細胞の増殖や分化を促進し、細胞が培養皿や基材に付着しやすくします。

 

血清には細胞保護効果もあり、有害な物質から細胞を保護し、細胞死を防ぎます。

 

血清の中でも牛胎児血清は、細胞培養で最も一般的に使用される血清です。

牛胎児血清は胎児の血液から採取され、多様な成分がバランスよく含まれているため、多くの細胞種で使用可能です。

 

利点として、多くの細胞での優れた成長促進効果、そして幅広い種類の栄養素や因子が含まれており、さまざまな細胞の培養に適しています。

 

しかし課題もあります。

血清の成分はロットごとに異なるため、実験結果の再現性が問題となることがあります。

そして今回の研究に大きく関わる倫理的・安全性の問題です。

動物由来であるため、倫理的な問題や病原体の混入リスクがあります。

 

最後に価格という問題があり、製造過程や需要により価格が変動し、しばしば高価です。

 

この解決策として血清フリー培地(Serum-Free Medium)が開発されています。

血清を含まない培地である血清フリー培地は、特定の成分を人工的に追加して作られます。

 

血清フリー培地は、より再現性の高い結果を得るためや、血清由来の不純物を排除するために使用されることがありますが、細胞種ごとに最適化が必要であり、ランニングコストも問題になります。

 

このように血清は細胞培養において重要な役割を果たしており、選択や使用方法は細胞の種類や実験の目的に大きく依存します。

 

研究の詳細

本研究では、培養液と足場の両方を動物成分フリーな環境にするため、樹木由来のセルロースナノファイバー(CNF: Cellulose nanofiber)を用いて細胞培養足場を作製し、間葉系幹細胞(MSC: Mesenchymal stem  cell)と呼ばれる細胞を培養しました。

 

動物体内では、細胞外マトリックス(ECM: Extracellular matrix)と呼ばれるタンパク質と多糖の複合体が細胞の足場となっており、主要な成分には線維状のタンパク質であるコラーゲンや、酸性多糖のヒアルロン酸などがあります。

 

樹木由来のセルロースナノファイバーは多糖で構成されており、この樹木由来のセルロースナノファイバーの表面を化学修飾することで、細胞外マトリックス成分にみられる線維形状と糖鎖構造の両方の特徴を備えた足場が作製できると考えました。

 

そういったアイデアをもとに今回の開発が行われましたが、この成果によって培養液と足場の両方で動物成分を全く使用しない条件で、臨床応用でも使用されている初代細胞の良好な培養を達成しました。

 

この成果が発展することで、将来的に細胞培養に動物成分を使う必要がなくなれば、細胞培養液を構成する成分全てを人工的に合成し、細胞培養コストの大幅な低減につながる可能性があります。

これは研究現場にとってなによりの朗報であり、研究コストの大幅な低減に結びつくと期待されています。

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