造血幹細胞の発生過程を試験管内で再現することに成功
幹細胞の発生、分化過程を人工的に再現することは、iPS細胞、ES細胞から必要な細胞を分化させる技術に大きな貢献をします。
熊本大学 発生医学研究所の古賀沙緒里助教及び小川峰太郎教授のグループは、造血幹細胞の前駆細胞である血管内皮細胞から造血幹細胞を試験管内で分化誘導することに成功しました。
これまで、血管内皮細胞から造血幹細胞を試験管内で分化させるためには、人工的に遺伝子を改変した支持細胞との共培養や血清存在下での培養が必要でした。
そのため、汎用性が低く、血清中のサイトカイン等の影響があるためメカニズム解明の妨げになるという問題点がありました。
幹細胞、iPS細胞に限らず、一般的な培養細胞(健常細胞、がん細胞含む)を培養するためには様々な材料が必要であり、その中でも血清が研究の問題、課題になることが多々見られます。
血清は細胞培養に一般的に使われますが、この血清はウシ胎児血清を使うことが多く、ウシ胎児の個体差によって血清成分が微妙に異なるため、時に実験再現性に支障が出ることがあります。
そこでこの研究では、誰でも利用できる材料のみを使用した血清フリーの培養法の構築を目指しました。
その結果、市販されている一般的な血管内皮細胞株を支持細胞として用いて、SCF (ステムセルファクター) とTPO (トロンボポエチン) のみを添加することで、造血幹細胞を分化誘導することに成功しました。
ステムセルファクター、トロンボポエチンとは?
ステムセルファクター(Stem Cell Factor, SCF)は、血液の幹細胞(造血幹細胞)の増殖や分化を促進する重要なサイトカイン(細胞間のコミュニケーションを行うタンパク質の一種)です。
SCFは「c-Kitリガンド」や「マストセル増殖因子」とも呼ばれ、c-Kit受容体と結合することでその効果を発揮します。
造血幹細胞の維持と増殖、細胞の分化、マスト細胞の成熟に重要な役割を果たします。
造血幹細胞の維持と増殖においてステムセルファクターは骨髄内の造血幹細胞を保護し、その自己複製と増殖を促進します。
またステムセルファクターは、特に赤血球や白血球を含むさまざまな血液細胞への分化を誘導し、アレルギー反応に関与するマスト細胞の成熟や増殖にも関与しています。
ステムセルファクターの異常な活性は、血液疾患や腫瘍などの病態に関連することがあります。
例えば、c-Kit受容体の突然変異によるSCFシグナル伝達の異常活性化は、一部の白血病やその他の血液のがんに関与しています。
このため、SCFとそのシグナル経路は治療標的としても研究されています。
トロンボポエチン(Thrombopoietin, TPO)は、血小板の生成を調節する主要なサイトカインです。
トロンボポエチンは肝臓で主に産生され、骨髄の巨核球前駆細胞に作用して、血小板の生産を促進します。
トロンボポエチンの主な機能は、巨核球の増殖と成熟の促進、血小板の生成、血小板数の調節です。
巨核球の増殖と成熟の促進においては、トロンボポエチンは骨髄内の巨核球前駆細胞(血小板を産生する細胞)に作用し、これらの細胞の増殖と成熟を促進します。
巨核球が成熟すると、トロンボポエチンの働きにより血小板が産生され、血液中に放出されます。これにより、血液中の血小板数が調整されます。
また、血小板が消費または破壊されると、その減少がトロンボポエチンの産生を刺激し、再び血小板の生成を促進するフィードバックメカニズムが働きます。
トロンボポエチンの臨床的意義は、血小板減少症の治療と疾患との関連にあります。
トロンボポエチンやその受容体アゴニストは、血小板減少症(血小板数が低下する疾患)の治療に使用されることがあります。
さらに、トロンボポエチンの異常やそのシグナル伝達経路の障害は、血液の病気、特に血小板の異常に関連する疾患に関与することがあります。
血管内皮細胞とは?
本研究で用いられた、血管内皮細胞とはどういう細胞でしょうか。
血管内皮細胞(けっかんないひさいぼう、Endothelial Cells)は、血管の内側を一層で覆っている細胞であり、血液と組織との間のバリアとして機能します。
これらの細胞は、血液循環の調節や血管の健康を維持する上で重要な役割を果たしています。
血管内皮細胞は、血液と周囲の組織との間で選択的なバリアを形成し、栄養素、老廃物、酸素、二酸化炭素などの物質の移動を調節します。
さらに血管の収縮や拡張を調節するシグナル分子(例: 一酸化窒素)を生成し、血圧や血流を制御します。
血管内皮細胞は、血液が正常に流れるようにするために、抗凝固因子や血小板の凝集を防ぐ因子を分泌し、血栓の形成を防ぎます。
炎症反応時に免疫細胞を誘導するための接着分子を発現させることも重要な役割です。
この昨日によって、免疫細胞が炎症部位に移動するのを助けます。
加えて血管内皮細胞は、必要に応じて新しい血管を形成するプロセスである血管新生にも関与しています。このプロセスは、傷の治癒や腫瘍の成長において重要です。
そしてがん細胞の増殖、転移にもこの血管内皮細胞は重要な役割を果たします。
研究の詳細
本研究成果は、アメリカ科学アカデミー紀要「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)」に掲載されました。
この研究は熊本大学、東京女子医科大学、そして東京医科歯科大学の共同研究グループによって行われ、研究資金は、文部科学省科学研究費助成、稲森財団、めばえ研究推進事業、さらに共同研究拠点支援ネットワークによって供給されています。
造血幹細胞は、胎生期、つまり胎児の期間に血管内皮細胞からプレ造血幹細胞を経て発生します。
血管内皮細胞からプレ造血幹細胞への分化は大動脈の内腔で起こりますが、本研究でこの環境に存在する血管内皮とそこから産生されるステムセルファクターがこの分化過程に寄与していることが分かりました。
また、プレ造血幹細胞から造血幹細胞への分化にはステムセルファクターとトロンボポエチンが必要であり、プレ造血幹細胞がこれらの因子を受け取るためには肝臓への移行が必要であることもこの研究で明らかにされました。
本研究により新しく構築した培養法は、血管内皮細胞から造血幹細胞が発生する過程に必要な環境を再現しており、造血幹細胞発生の詳細なメカニズムを解明できる強力な研究ツールになります。
さらに、将来的にはES細胞やiPS細胞からの造血幹細胞誘導につながることが期待されます。
造血幹細胞の有用性について
造血幹細胞は、血液細胞を作り出す能力を持つ幹細胞であり、血液の恒常性を維持するために重要な役割を果たしています。
造血幹細胞は、全ての血液細胞(赤血球、白血球、血小板など)の元となる細胞であり、その多能性と自己複製能力から、医学的に非常に有用です。
以下に、造血幹細胞の有用性について説明します。
まずは再生医療に分類される、骨髄移植、幹細胞移植が行われる疾患についてです。
・白血病、リンパ腫、多発性骨髄腫: これらの血液のがんでは、患者の異常な血液細胞を完全に除去するために化学療法や放射線療法が使用され、その後に造血幹細胞を移植することで、正常な血液細胞の再生を図ります。
移植された造血幹細胞は、患者の骨髄に定着し、新しい血液細胞を生成します。
・重症再生不良性貧血: この疾患では、骨髄が正常に血液細胞を作れなくなるため、造血幹細胞移植が治療法として用いられます。
造血幹細胞は、遺伝性疾患の治療にも利用されています。
・重症複合免疫不全症(SCID): 免疫系が欠如しているこの疾患では、造血幹細胞移植により正常な免疫機能を持つ血液細胞を再生させることができます。
・鎌状赤血球症やサラセミア: これらの遺伝性血液疾患では、患者自身の異常な造血幹細胞を正常なものに置き換えることで、症状の改善が期待されます。
そして自己免疫疾患においても、造血幹細胞移植が治療の選択肢となることがあります。
・多発性硬化症や全身性エリテマトーデス: これらの疾患では、患者の免疫系が自己組織を攻撃するため、造血幹細胞移植により免疫系を「リセット」することが試みられます。
造血幹細胞は、血液や免疫の再生に不可欠な細胞であり、さまざまな重篤な疾患の治療において重要な役割を果たしています。その可能性は今後も広がり続け、再生医療や遺伝子治療の分野での応用が期待されています。