子宮がん治療、ゲノム編集技術で拒絶反応軽減
順天堂大学大学院医学研究科 血液内科学の大学院生古川芳樹氏、同助教石井翠博士、安藤美樹教授、細胞療法・輸血学の安藤純教授、産婦人科学の寺尾泰久教授、およびスタンフォード大学医学部幹細胞生物学・再生医療研究所の中内啓光教授らの共同研究グループは、健常細胞から樹立したiPS細胞に対してゲノム編集を行い、ゲノム編集されたiPS細胞から作製したヒトパピローマウイルス特異的細胞傷害性T細胞(CTL)が、子宮頸がん患者の免疫細胞から拒絶されずにがんを強力に抑制できることを明らかにしました。
研究グループはさらに、そのiPS細胞由来CTLが大量の組織レジデントメモリーT細胞を含むために高い細胞傷害活性を持つことを明らかにしました。
これにより、難治性子宮頸がんに対して、有望な新規治療法となりうる可能性が示されました。
この成果は、2025年夏にも開始を予定している子宮頸がんを対象としたiPS細胞由来CTL療法の医師主導治験の基礎的データとなるものです。
本研究はCell Reports Medicine誌のオンライン版に2023年12月12日付(米国東部時間)で「iPSC-derived hypoimmunogenic tissue resident memory T cells mediate robust anti-tumor activity against cervical cancer」というタイトルで発表されました。
この研究の理解のために必要な専門用語
この研究を理解するためには、いくつかの専門用語を知らなくてはなりません。
- ヒトパピローマウイルス (Human papilloma virus: HPV)
子宮頸がんの原因ウイルス。HPV感染後、多くは自然にウイルスが排除されるが排除されなかった場合、前がん状態を経て子宮頸がんを発症します。 ワクチンは開発されていましたが、日本国内ではワクチン副作用の害を課題に報道する傾向があったため、日本国内の接種率は低く、そのために現在子宮頸がん患者が増加していると考えられています。 - 抗原特異的細胞傷害性T細胞 (Antigen-specific cytotoxic T lymphocytes: CTL)
免疫細胞であるTリンパ球の中でも、ウイルス抗原や腫瘍抗原を認識し、異常細胞を攻撃するリンパ球を指します。 患者のウイルス特異的細胞傷害性T細胞を体外で増幅し、再び患者体内に戻すCTL療法は、重症ウイルス感染症やウイルス関連腫瘍に有効である。キラーT細胞とも呼びます。 - iPS細胞由来CTL(抗原特異的細胞傷害性T細胞)
iPS細胞から作製した抗原特異的CTLです。 iPS細胞技術は細胞の若返り法の一つと言えますが、この手法を利用して、HPV感染腫瘍に反応する末梢血中のHPV抗原特異性をもつCTLからiPS細胞を作製し、再びT細胞に分化させることにより、腫瘍を攻撃する若いCTLを無限に供給することが可能になります。
- メモリーT細胞
抗原と出会う前のナイーブT細胞が、抗原認識により活性化するとエフェクターT細胞となり、その一部が長期生存し次の抗原暴露に備えるため分化したT細胞です。 2回目の抗原暴露によりメモリーT細胞はすぐにエフェクターT細胞となり最初の抗原暴露に比較し早く効率よく反応します。
- CRISPR/Cas9技術とオフターゲット作用
部位特異的ヌクレアーゼを使った簡便な遺伝子改変ツールであり、ゲノム編集技術として知られています。 DNAの二本鎖切断を介して修復機構を利用することによりゲノムの特定の場所を削除、置換、挿入することが可能ですが、通常の標的以外の場所で遺伝子切断が発生することがあり、それをオフターゲット作用と呼びます。 - HLA (Human Leukocyte Antigen)
ヒト白血球抗原と言われる白血球型であり、免疫系で「自己」を「他者」と区別する役割を果たしています。 異なる個体でHLAが異なるため造血幹細胞移植や免疫細胞療法の際の免疫反応に重要な役割を果たし、拒絶反応などの原因となります。
- シングルセル解析
1つの細胞からRNA情報を取得し、個別の細胞の遺伝子発現パターンを詳細に調査する次世代シーケンシング解析です。 この解析方法により、異なる細胞の個別の特性を理解でき、がんや免疫応答の微細な変化を把握するのに役立っています。 - TGFβシグナリング(TGF : Transforming Growth Factor)
TGFβとは細胞増殖・分化を制御し、細胞死を促すことが知られているサイトカインです。 がんにおいては、TGFβシグナルが、がん化を未然に防ぐと考えられています。 - “off-the-shelf” T細胞療法
患者由来細胞ではなく, 健常人由来の他家iPSC由来T細胞を作製してバンキングすることによって,必要時にいつでも十分量の治療用T細胞が提供できる治療方法です。
子宮頸がんとその治療
子宮頸がんは、ヒトパピローマウイルス(HPV:Human Papillomavirus)感染が原因で発症します。
日本以外の先進国ではワクチンの普及により患者数、死亡率ともに減少している中、日本国内では増加傾向が続いており、年間1万人以上の患者が新たに子宮頸がんと診断され、約3,000人が死亡しています。
国内ではマスコミの誤報道などで子宮頸がんワクチン接種率は依然15%以下と低迷しており、20-30歳代における子宮頸がん発症数増加は特に深刻な問題です。
子宮頸がんは、結婚、妊娠、子育て世代の若い女性の場合、その進行は極めて速く予後不良であるため、マザーキラーと呼ばれており、有効な新規治療法開発が必要とされています。
研究グループは、2020年に子宮頸がんに対するiPSC由来HPV抗原特異的CTL(HPV-CTL)の開発に成功し、その持続的で強力な抗腫瘍効果を証明しました。
しかし、抗がん剤治療中の子宮頸がん患者血液からのCTL作製は難しく、また時間がかかり、さらに作製には高額なコストがかかることが実用化に向けた課題です。
一方で、健常人のCTLから樹立した他家iPS細胞を用いると上記の問題は解決する一方で、患者免疫細胞からの同種免疫反応が起こり、抗腫瘍効果が減弱する問題が生じます。
そのため、研究グループはこの問題を解決するために、ゲノム編集技術であるCRISPR/Cas9技術を用い、HLAクラスIをゲノム編集した健常人由来他家HPV-CTLの開発を試みました。
研究内容の詳細
本研究では、はじめにHPV-CTLを健常人の末梢血より誘導後、iPS細胞を樹立しました。
続いて、患者免疫細胞から攻撃されないようにするために、iPS細胞のHLAクラスⅠ抗原をCRISPR/Cas9 二段階編集法によって編集を行いました。
まず、HLAクラスⅠ分子の存在に重要なB2M遺伝子をノックアウトしてHLAクラスⅠ抗原の発現を消失させることで、患者免疫T細胞から攻撃されないようにしました。
しかしこれだけでは患者ナチュラルキラー細胞はHLAクラスⅠ抗原の発現のない細胞を攻撃するため、次に攻撃を回避できるようにいくつかのクラスⅠ分子を強制的に発現させました。
これによってナチュラルキラー細胞の攻撃を抑制し、これまでの問題を解消しようとしました。
攻撃回避のためのゲノム編集したiPS細胞からCTLを分化誘導後、同種免疫反応を解析したところ、ゲノム編集したiPS細胞由来HPV-CTLはT細胞に拒絶されず、またNK細胞からの攻撃も回避できることが明らかになりました。
問題は、ゲノム編集したことで子宮頸がんに対する抗腫瘍効果が軽減するかどうかです。
もし抗腫瘍効果が低くなれば本末転倒になってしまいます。
解析した結果、ゲノム編集したiPS細胞由来HPV-CTLは編集の有無に関わらず、強力に子宮頸がんの増殖を抑制できました。
末梢血から誘導したもとのHPV-CTLよりも短期間で強力に抗腫瘍効果を発揮して、また長期間の生存期間延長効果も認めました。
本研究ではiPS細胞技術とゲノム編集技術を用いて、健常人由来iPS細胞から患者免疫細胞の攻撃を回避できるHPV-CTLの作製に成功し、作製したHPV-CTLは組織レジデントメモリーT細胞を豊富に含む結果、子宮頸がんに対して強力な細胞傷害活性をもたらすことを明らかにしました。
これまで治療の大きなハードルであった同種免疫反応を軽減でき、かつT細胞の機能も強化された次世代T細胞療法の開発に成功したことにより、HPV-CTLは子宮頸がんに対する画期的な新規治療となりうることが示唆されました。
子宮頸がんワクチンの恩恵を受けることができなかった日本では、今子宮頸がんへの対策が急務です。
少子化が叫ばれている今、子宮頸がんの治療方法を軽減することはこういった問題の解決策の1つとして期待されます。