幹細胞からの筋肉再生に新技術
広島大学原爆放射線医科学研究所の東幸仁教授らの研究グループは、低周波超音波治療によって効率良い筋肉再生が可能であることと、その再生メカニズムを明らかにし、国際学術誌である「American Journal of Sports Medicine」に、「Therapeutic myogenesis induced by ultrasound exposure in a volumetric skeletal muscle loss injury model」というタイトルで論文を発表しました。
この研究は、マウスの筋肉損傷モデルを用いて、低周波超音波治療が筋肉再生を行うメカニズムの詳細を明らかにした研究です。
骨格筋の再生は、骨格筋の幹細胞からの分化が必要ですが、この分化に低周波超音波治療が有効である事を証明した論文です。
論文では、この再生メカニズムの分子的な動きも解析しており、臨床応用への期待が高まっています。
東教授らのグループは、長年にわたって低周波超音波治療について研究を行い、低周波超音波が血管の再生に有効であることを基礎研究、臨床研究の両方で報告してきました。
これらの研究成果として、血管再生用の低周波超音波治療器を作製して特許を取得しています。
今回の研究は、低周波超音波治療による血管再生の過程で、筋肉再生にも有効であることが示唆されたために本格的に着手されたものです。
筋肉幹細胞とは?
筋肉幹細胞は、サテライト細胞とも呼ばれ、筋線維の外側表面に存在しています。
普段は細胞分裂を行っていませんが、筋線維が刺激を受けると、細胞周期に入って増殖を繰り返し、筋線維へ分化して修復を行います。
激しい運動などで筋肉が損傷してもこのメカニズムが正常であれば、筋肉は再生されます。
このメカニズムには筋幹細胞(サテライト細胞)が欠かせません。
筋線維に損傷などがないときには細胞分裂を休止していますが、筋肉の損傷に反応して増殖を開始します。
筋線維が損傷して再生するまでには、サテライト細胞の活性化、増殖、筋への分化という3つのステップが必要になります。
この中で、サテライト細胞の活性化のメカニズムはよくわかっていませんでした。
研究の内容
この研究の理解のために必要な用語を説明します。
低周波超音波とは、医療現場で検査に利用されているのと同レベルの超音波です。
このレベルは非常に低出力であり、周波数は1.5Mhz、パルス幅は200マイクロ秒、パスル繰り返し周期は1000マイクロ秒、強度は30mW/cm2です。
サルコペニアという現象は、筋肉の量と共に筋力が減少していく老化現象です。
25歳から30歳にかけて始まり、生涯を通して進行します。
解剖学レベルで解説すると、筋線維数と筋横断面積の減少が同時に進んでいきます。
分子レベルでは、筋肉細胞の分子を調節する分子がいくつかあります。
筋肉細胞の分化を決定する因子であるミオジェニン、細胞表面に存在するインテグリンなどがそれに該当します。
インテグリンは細胞内の構造を連結させる機能を持っており、幹細胞以外でも重要な分子です。
ERK1/2は、細胞表面の受容体からシグナルを受け、細胞内に伝達します。
このシグナル伝達経路は、様々な細胞プロセスを調節しています。
そしてロコモーティブ症候群という疾病があります。
これは彼に伴う筋力の低下や関節、脊椎の病気、骨粗鬆症などによって運動器の機能が衰えます。
その結果、要介護、寝たきりの状態になるリスクが高い状態になります。
この研究では、低周波超音波治療は、インテグリン、ERK1/2を介してPax7という遺伝子を活性化し、MyoD、ミオジェニンの発現を増強させることで筋肉再生をもたらすことを明らかにしました。
この再生メカニズムを明らかにしたのがこの研究ですが、この研究を通して、低周波超音波治療は、筋損傷だけではなく、長期臥床に伴う四肢の筋肉量の低下、現在問題となっている大きな問題になっているサルコペニア、さらに寝たきりの老人筋肉量の著しい低下に対し、安全かつ簡単に施行できるという有効な手段となり得ます。
この研究で重要な点は次の4点です。
- 外傷等での筋断裂や筋損傷の早期回復に有効な治療方法となる。
- 臥床中に低周波超音波治療を併用することにより、四肢筋肉、筋肉量低下の予防と治療が可能になります。
- サルコペニアを呈する方の筋肉量回復、前サルコペニア状況にある方の筋肉量の減少予防につながることが明らかになりました。
- 寝たきり老人の筋肉量維持に安全かつ簡単に施行でき、有効な手段となる可能性があります。
実際に、難治性骨折や血管再生に使用されている治療器は、操作が非常に簡単であり、医療従事者の監督下で使用する必要がありません。
照射時間も1日あたり20分から30分で、自宅で行うことが可能です。
今後は、現在の低周波超音波治療器をさらに機能的に改良、商品化することで、この治療方法の普及が図られるでしょう。
広島大学原爆放射線医科学研究所とは?
この研究は、広島大学原爆放射線医科学研究所の研究グループを中心として行われました。
この研究上は、広島大学の附置研究所で、広島大学霞キャンパスに設置されています。
「原子爆弾の放射能による障害の治療および予防に関する学理と応用」を確立することを目的として、1961年4月に「原爆放射能医学研究所」として設置されました。
その後、2002年に改組され、放射線医科学研究所と名前が変わりました。
研究所内は、研究部門、国際放射線情報センター、放射線関係施設、動物実験施設、大学医学部附属病院、そしてそれらをサポートする事務部から構成されています。
研究部門は、ゲノム障害制御研究部門、ゲノム疾患治療研究部門、放射線再生医学研究部門、そして放射線システム医学研究部門の4つの部門からなります。
さらに4つの部門の中には16の研究分野があり、放射線が人体に及ぼす影響の解明や、放射線傷害の治療など、放射線医学の分野における研究拠点として機能することを目標にして幅広い研究分野で活動を行っています。
大学に所属する研究所としては、放射線医科学分野では日本最大の規模であり、先述した「原子爆弾その他の放射線による障害の治療及び予防に関する学理ならびにその応用の研究」という設置目的に準じた研究推進体制を構築するために、21世紀になって改組が行われています。
具体的には、従来の原爆被爆者データベースに基づく疫学的研究、種々の物理学的手法による放射線量評価法の研究に加え、ゲノム科学分野での解析手法を導入して障害発症機構の解明や、新しい治療方法の開発を行っています。
さらに再生医学的な治療方法の研究も行っており、「放射線障害の研究と治療開発の世界的拠点」としての地位を確立しようとしています。
所内には令和4年度から「放射線災害、医科学研究機構」が新たに設置されています。
研究所内の大学教員は、大学院教育では医系科学研究科の協力講座として大学院の研究指導を行い、各種共通科目、専門科目の講義、演習、実習を担当しています。
原爆などによる放射線障害からの回復もこの研究所の重要な研究課題であり、本研究で行われた内容は、「筋組織の回復」という人体組織の再生研究としての課題として行われました。
広島大学原爆放射線医科学研究所は日本における再生医療の重要な拠点であり、京都大学に設置されているiPS細胞関連の研究所と同様に、今後も日本が維持しつづけなければならない研究所です。
筋肉の回復は、高齢化社会における高齢者の自立した生活の維持のために必要な医療の一つと言えます。
今後、医療従事者がいなくとも低周波超音波治療器でこの治療ができれば、高齢者の自立、医療費の節約にもつながり、大きく高齢化社会に貢献すると期待されています。