1. iPS細胞を使った高齢化社会への準備
iPS細胞の分化誘導によって様々な細胞が人工的に作られるようになり、再生医療の幅が拡がりつつあります。
この状況になるまでに、多くの研究者がiPS細胞から目的の細胞を作り出すための培養条件を探索し、効率的な分化誘導方法を確立してきました。
こういったiPS細胞を使った研究の中で、高齢化社会に対して準備を進めている研究の一つに、血液成分をiPS細胞で作るという研究があります。
高齢化社会で予想されることの1つに、血液不足があります。
高齢化によって、疾患、ケガなどの患者が増え、輸血するための血液が今よりも需要が多くなることが予想されます。
しかし、高齢化社会では若者の数が相対的に少なくなります。
さらに、少子化が進んでいる日本では、相対的な数の減少だけでなく、絶対的な数も減少します。
その結果、献血の中心をになっていた20代から40代の人口が減り、献血によって確保できる血液量も減少します。
この対策として、血液成分をiPS細胞から作ることによって、血液不足に備える計画が進んでいます。
この計画の1つを進めているのが、慶應大学発の生命科学ベンチャーAdipoSeedsです。
AdipoSeedsでは、複雑かつコストのかかる遺伝子導入なしで間葉系幹細胞から血液成分の一つである血小板の分化誘導に成功し、商業ベースで実行できるレベルの技術を開発しました。
2. 血小板はどれだけ重要なのか?
血小板は血液に含まれている細胞で、血球系に分類される細胞です。
細胞なのですが、血小板は核を持っていません。
これは、骨髄中の巨核球(巨大核細胞)の細胞質から産生されるためです。
大きさは、赤血球、白血球の細胞よりも少なく、血液1マイクロリットルあたりに20万個から40万個が含まれています。
血小板の機能は、血液凝固が代表的で、血小板自体には数種類の血液凝固因子を含まれています。
血管を構成している血管内皮細胞は、出血を伴う衝撃によって傷害を受けますが、このとき血小板は出血を止める準備をすぐに始めます。
まず血小板内の細胞骨格系が変化し、細胞膜上に細胞接着因子の受容体を発現させます。
この状態は一般的に血小板の活性化と言われています。
準備ができた血小板は、接着因子を介して血管は血管内皮に接着し、そこに次々と血小板が集まることによって血小板の凝集塊が構築されます。
血小板が凝集してできた塊によって血栓が形成され、血が止まります。
このステップを一次止血と呼びます。
この後、各種凝固因子が放出され、血液中にあるフィブリンが凝固し、さらに血小板と赤血球が動員されてさらに強力な止血栓が構築されます。
これを二次止血と呼び、一連の作用によってできた体外の血小板とフィブリン、赤血球の塊をかさぶたとよびます。
こうした止血のステップで血小板は重要な役割を果たしています。
そしてその他にも、炎症反応、免疫反応、感染防御、動脈硬化、癌転移や発育などの生体反応に深くかかわっているとされています。
血小板自体の寿命は8~12日で、老化した血小板は脾臓に送られて破壊されます。
3. AdipoSeedsとはどのような企業か?
iPS細胞から血小板を分化誘導する方法を確立し、医療現場への供給を目指しているAdipoSeedsとはどのような企業なのでしょうか。
AdipoSeedsは、2016年に慶應大学医学部発のベンチャーとして設立されました。
創業者は、慶應大学医学部臨床研究推進センター准教授の松原由美子博士です。
松原博士は昭和薬科大学を卒業後、病院薬剤師として勤務し、2003年に慶應大学大学院医学研究科博士課程を修了し、博士号(医学)を取得しました。
2015年に慶應大学医学部臨床研究推進センター准教授に着任し、AdipoSeeds創業後も兼任しています。
この松原博士を取締役CSO、研究部門の総責任者とし、代表取締役社長CEO、CFOには銀行勤務から遺伝子解析ベンチャーなどに勤務、国土交通省にも出向経験のある不破淳二氏、技術顧問には松原氏の恩師でもある慶應大学名誉教授であり、元医学部長の池田康夫博士を迎えています。
池田博士は一貫して血小板の研究を行っており、輸血センター講師、血液・感染・リウマチ内科教授、総合医科学研究センター長、医学部長を歴任し、2019年には昭和天皇記念学術賞を受賞しています。
AdipoSeedsの事業内容は、「脂肪組織に由来する細胞を用いた再生医療等製品の実用化に向けた研究開発製造パートナーへの技術ライセンス提供」とあり、このiPS細胞から血小板分化誘導を柱とした企業であることがわかります。
2016年に創業し、2017年には地方独立行政法人神奈川県立産業技術研究所との共同研究により、現在の事業の柱である、「皮下脂肪組織細胞を使った血小板大量創製培養技術」を確立し、2017年末から2018年にかけて、藤森工業株式会社、日水製薬株式会社、東ソー株式会社から相次いで出資を受け、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)橋渡し研究戦略的推進プログラム・シーズBの分担研究機関となりました。
2018年末には脂肪組織由来の間葉系幹細胞から血小板の製造方法に関する特許が、日本とアメリカで成立しました。
2020年には第三者割当増資によって4億円を追加調達、2022年には血小板早期事業化のためにさらに第三者割当増資で1億5千万円を調達しています。
2022年には、その他にも、慶應大学と臨床研究の共同研究契約を締結している、「難治性皮膚潰瘍を対象とした間葉系幹細胞由来血小板様細胞(ASCL-PLC)の探索的臨床試験」において、第一症例目への投与が完了し、臨床応用への道が開かれました。
さらに、ASCL-PLCの再生医療等製品としての事業化をさらに推し進めるために、再生・細胞医療・遺伝子治療分野における品質試験受託、受託製造を手がけるH.U.セルズ株式会社との間で、PRP(Platelet Rich Plasma、多血小板血漿)療法に関連する受託事業の立ち上げを目的とした事業提携の基本合意書が締結されました。
H.U.セルズ株式会社は、「検査・関連サービス事業」と「臨床検査薬事業」を展開していることから、事業リソースとインフラ(細胞培養加工施設、医療機関とのネットワーク、物流ネットワークを持っており、これと連携することによって独自性と新規性の高いPRP療法を医療機関に提供することが可能になります。
4. 血小板事業の確立へ
H.U.セルズ株式会社との提携直後、AdipoSeedsは、DCIパートナーズ株式会社、ニッセイ・キャピタル株式会社、SMBCベンチャーキャピタル株式会社、株式会社Gemsekiがそれぞれ運営する投資事業有限責任組合を割当先とする、総額16億円の資金調達を実施しました。
今回調達した資金は、ASCL-PLCの難治性皮膚潰瘍及び血小板輸血を対象とした企業治験準備の一層の加速、新規事業であるPRP療法に関連する受託事業の2023年7月の事業開始などの研究開発資金に充当されます。
AdipoSeedsが行おうとしている事業は、献血に依存しない輸血用血小板製剤の実用化、そしてその血小板を用いた組織修復領域の拡大によるメディカルアンメットニーズの解消という社会的に大きな問題とされている事案の解決策となるもので、2023年7月のサービス提供を目指し、まずは患者自身の血液を用いた自由診療によるPRP療法からスタートする予定です。
このAdipoSeedsが行う事業が軌道に乗れば、今後は献血に頼らない血液製剤というビジネスでの分野が確立されます。
AdipoSeedsが技術的に先行しているこの分野に、多くの企業の参入が見込まれますが、その参入によって2023年に始まる自由診療が、近い将来は誰でも受けることのできる治療方法として確立されると期待されています。
献血による輸血用血液の確保は、若い世代の人口が多かった90年代から問題とされてきました。
そして今後、若い世代の人口が減る日本では、献血に頼るということは非常に高いリスクを背負うことになります。
その解決策としたiPS細胞からの血小板分化誘導は、現在大きく拡がりを見せ、臨床治験に入ろうとしている段階です。