毛根の中心「毛包」を効率的に人工培養することに成功

目次

1. 幹細胞に大きな期待が寄せられる毛髪治療

様々な器官、組織を幹細胞から作り出して治療に用いる再生医療は、多くの疾病治療に用いられ始めています。

また、臨床試験中のものも多く、今後次々と実用化されていくと予想されています。

多くの疾病治療に期待されている幹細胞ですが、毛髪再生には特に大きな期待が寄せられています。

一般的に毛髪と呼ばれているものは、毛である毛幹と、その毛幹の根の部分に存在する毛乳頭から構成されています。

さらに、この毛幹の一部を包んでいるのが毛包です。

毛包は、皮膚より内側、つまり体内に存在し、毛包バルジという窪みを持っています。

皮膚の内側にある毛幹と毛包バルジを含む毛包が毛根と呼ばれる部位で、その部分のうち毛乳頭付近を毛球部と呼びます。

毛包は皮膚を構成する上皮細胞と、間葉細胞によって形成されている器官です。

この毛包の機能が失われると、毛が抜けた後に新しい毛が生えてきません。

薄毛などの治療を目指す研究では、この毛包の再生を目標にする研究が多かったのですが、先の述べたように上皮細胞と間葉細胞という2種類の細胞から構成されている毛包の人工再生はそれほど簡単なことではありません。

2. 人工臓器を目指すオルガノイド

近年、幹細胞の培養技術の急速な進歩により、人間の体のさまざまな部位を人工的に再現した人工培養臓器「オルガノイド」を作ることが盛んに研究されています。

いくつかの臓器については、かなり研究が進み、徐々に人間の体に近いものが作られつつあります。

当然、薄毛治療のために毛根、毛包を人工的に構築しようとする研究も行われました。

しかし、毛包の人工培養は非常に困難を伴いました。

毛包は、上皮細胞と間葉細胞からなる器官です。

細胞の系統が同じものを使って人工培養することはそれほど難しくありませんが、毛包の場合は、上皮細胞と間葉細胞両方を分化誘導して培養しなければなりません。

系統が異なる細胞を使って臓器、器官を作ろうとすると、それぞれの細胞に適した栄養分、成長因子が必要になります。

そして非常に厄介なポイントは、同じ系統同士の細胞はまとまって集団化する性質です。

この性質は、上皮細胞と間葉細胞だけでなく、あらゆる細胞に存在する普遍的な性質です。

毛包を培養する時には、上皮細胞と間葉細胞の2系統の細胞が混ざり合うことが必要です。

しかし人工的に培養すると、上皮細胞の塊と間葉細胞の塊がそれぞれ作られ、2つの塊がくっついて、ダンベルのような2連構造になってしまい、毛包に分化してくれません。

3. 生体物質を応用した人工培養

この解決のため、横浜国立大学の研究グループは、2系統の細胞を混ぜるときに、マトリゲルを加えることを考案しました。

マトリゲルは、Corning Life Sciencesという企業が製造した Engelbreth-Holm-Swarm (EHS) マウス肉腫細胞から分泌される可溶化基底膜マトリックスの商品名です。

マトリゲルは、多くの組織で見られるラミニン/コラーゲン IV が豊富な基底膜の細胞外環境に似ており、細胞を培養するための基質 (基底膜マトリックス) として細胞生物学者によって使用されています。

このマトリゲルと共に培養すると、系統の異なる細胞同士が接着を始め、毛包に似た構造を形成するようになりました。

そして培養条件を検討し、ほぼ完全な毛包を作ることができる培養条件を確立したわけですが、この方法は毛包の発生率がほぼ100%という優れた培養方法であることが明らかとなりました。

実験室内での実験では、この人工毛包は一ヶ月ほど成長を続け、最大3ミリメートルほどの毛を生やすことも確認されています。

さらに薬剤を使って毛包にメラニン合成を誘導すると、毛髪に含まれるメラニンも細胞内で生成することがわかりました。

ここで2つの技術的なポイントがあります。

1つは、毛包の人工的な構築によって薄毛治療に解決の糸口が見つかったこと、そしてもう1つは毛髪の色素制御が可能かもしれないということです。

現在、白髪を染めるためには毛を直接色素で染める方法が採られています。

しかし今回の結果では、毛包を構成する細胞に対して作用することで、毛に含む色素を制御できるという可能性が出てきたのです。

薄毛治療のために再生医療を応用する研究では、毛包を含めて軟骨、神経と共に大きな皮膚組織を作り出す方法が使われてきましたが、今回は毛包のみを人工的に構築する方法が確立されました。

大きな皮膚組織の人工構築と比べて、この毛包のみの構築が優れている点は、毛包のみであるとサイズ的に移植がしやすいという点です。

研究グループはこの人工毛包をマウスに移植して実験を継続しました。

4. 人工毛包で毛が抜け替わり

人工培養された臓器、器官は当然体内でも働くことが期待されているわけですので、この毛包も移植実験を行って体内での挙動が調べられました。

まず、毛のないヌードマウスを準備し、このマウスに培養して6日目の未熟な毛包を移植しました。

移植された毛包は、未熟な毛包から成熟な毛包へと成長し、マウスの皮膚に定着しました。

そして毛の抜け替わりのサイクルが数回、期間にして10ヶ月以上繰り返したことが観察されました。

この結果、幹細胞から人工的に構築された毛包が、マウスの皮膚で本物の毛包のように機能できることが証明されたのです。

しかし、この実験に使われた幹細胞はES細胞です。

マウスを使った実験のため、マウス胚性幹細胞、つまりマウスのES細胞を使って個々までの実験を成功させてきたわけですが、人間に応用しようとすれば人間のES細胞が必要です。

しかし、人間のES細胞は倫理的な問題があるために、そう簡単には手に入りません。

将来、薄毛治療にこのシステムを使おうとすれば、ES細胞の供給が大きな問題になります。

そのため、研究グループではこの実験で得た培養条件をもとに、ES細胞を多能性幹細胞、つまりiPS細胞に置き換えていく研究を現在行っています。

5. マトリゲルを使った副産物

今回の研究で使ったマトリゲルは、オルガノイド研究で広く使用されており、ラミニン、コラーゲン IV、ヘパリン硫酸プロテオグリカン、エンタクチン/ニドゲン、および多数の成長因子を含む、マウス肉腫からの基底膜抽出物で構成されています。

入手はそれほど難しくなく、現在は多くの研究室で使われています。

タンパク質レベルで解析したところ、IV型コラーゲン、ラミニン・エンタクチン複合体、成長因子低減マトリゲル、I型コラーゲンを用いた場合、効率の高い毛幹の発芽が起こることが明らかになり、マトリゲルの主成分である成長因子やラミニンは毛包に直接関与していないことが示唆されました。

特にコラーゲンIは、96%の効率で毛包を発芽させ、この毛髪再生に重要な分子であることが明らかになりました。

そして、マトリゲルまたはコラーゲン I による毛包の長期観察中、発芽した毛包は培養後 1 か月以内に退行するように見えました。

この現象が単に培養系の限界なのか、毛周期に関連しているかを判断するために、遺伝子プロファイルの変化と組織の微細構造の変化を今後の研究で調査する必要があります。

また、毛包のトランスクリプトーム解析により、NF-KappaB や PI3K-Akt 経路などのシグナル経路が重要であるという遺伝子レベルでの研究結果も別グループが報告しており、コラーゲンIとの関連性を明らかにする必要があります。

そして上皮細胞と間葉細胞の成長時に見せる細胞形態も重要であることが示唆されており、今後の遺伝子レベル、タンパク質レベルの研究などと加え、実用化を目指した研究が今後続けられていきます。

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