他人由来の「ひも状」iPS網膜、世界初の移植が実施された

目次

1. iPS細胞を使った角膜再生

iPS細胞が山中教授によって報告されてから10年以上が経過し、様々な領域でiPS細胞を用いた研究が進んでいます。

特に再生医療研究は盛んに行われ、多種多様な臓器、器官の再生が試みられています。

2014年に理化学研究所の高橋博士を中心とする研究チームが行った角膜再生はその再生医療の先頭を切って行われました。

iPS細胞由来網膜色素上皮細胞移植がこの研究チームによって世界で初めて行われ、実用化に徐々に近づいてきています。

令和4年12月、地方独立行政法人神戸市民病院機構・神戸市立神戸アイセンター病院は、網膜色素上皮(RPE: Retinal Pigment Epithelium)不全症に対する同種iPS細胞由来RPE細胞凝集紐移植に関する臨床研究における、最初の移植手術の実施についてプレスリリースを行いました。

神戸市立神戸アイセンター病院は、「網膜色素上皮(RPE)不全症に対する同種 iPS 細胞 由来 RPE 細胞凝集紐移植に関する臨床研究」をすすめており、この研究における最初の移植手術を実施しました。

2. 角膜の疾患と幹細胞の関連

角膜は眼のもっとも表面、最前部に存在する透明な組織で、上皮部分、実質部分、内皮部分の3層から形成されています。

角膜上皮は角膜の最表層に存在する非角化扁平重層上皮で、角膜のバリア機能と透明性の維持に関与しています。

角膜上皮幹細胞は、角膜と結膜の境界に位置する輪部の上皮基底部に存在し、分裂・分化によって角膜中央部に角膜上皮細胞を供給し、それらの恒常性を維持する機能を持っています。

輪部の幹細胞が何らかの原因によって損傷し、その機能が完全に失われてしまうと、周辺の結膜が角膜中部に侵入します。

この時、結膜は血管を伴って侵入するため、角膜は混濁してしまいます。

このレベルになると重篤な角膜疾患となり、ドナー角膜を用いた角膜移植の必要性が出てきます。

しかしドナー不足の現状に加え、拒絶反応が頻発するために術後の成績は良好ではありません。

3. 角膜再生のための試み

これらの問題を解決するために、1990年代後半に患者自身の細胞を使った培養角膜上皮移植法が初めて行われました。

これは患者自身の細胞を使う自家移植で、角膜上皮幹細胞疲弊症に対して、患者の健常なもう片方の眼から輪部組織に存在する核膜上皮幹細胞を採取し、人工的な培養後にシート状になった細胞群を疾患部に移植する方法です。

この研究によって角膜機能の再建に成功し、様々な臨床データを取ることに成功しました。

しかし、この治療方法は両眼性疾患に適用できません。

患者の多数は両眼に疾患を抱えており、ごく少数の患者に対してのみ適用できる治療方法です。

さらに、健常眼からの幹細胞採取にはリスクが伴うこと、移植細胞の品質が患者の状態に依存することも課題です。

これを解決したのがiPS細胞を使って角膜上皮細胞を分化誘導し、移植するという治療方法です。

当初は、iPS細胞から分化誘導した細胞をシート状にして移植する方法が試みられていましたが、移植成績の向上のために新しい方法が開発され、臨床に試みられることになりました。

その臨床研究が今回の研究内容になります。

4. 神戸市立神戸アイセンター病院の新しい挑戦

神戸市立神戸アイセンター病院はこれまで、細胞シートや細胞懸濁液を使う方法の臨床研究を実施していました。

細胞懸濁液を使う方法は、細胞シートを使う方法よりも侵襲性が低くなりますが、細胞懸濁液は、網膜へ注入した後に逆流する事例が確認されたことなどからいったん中断されています。

そこで研究チームは、新しい形態での移植に挑戦することを考え、ひも状での移植に切り替えて臨床研究を進めていました。

この研究は大阪大学との共同研究のため、まず令和4年1月26日大阪大学第一特定認定再生医療等委員会にて承認を受けました。

その後、2月17日厚生労働省 厚生科学審議会 再生医療等評価部会にて了承されていますが、その2ヶ月後、研究財源の関係で研究計画を一部変更したため、大阪大学第一特定認定再生医療等委員会にて変更申請が承認されています。

そして5月に厚生労働省厚生科学審議会再生医療等評価部会にて了承を受け、11月下旬に最初の症例に移植されました。

5. 今回の臨床研究まとめ

今回の移植による臨床研究のポイントをまとめると以下のようになります。

  1. 他人の細胞由来のiPS細胞より作製した網膜色素上皮細胞をひも状に連なった状態に加工し、角膜上皮不全症の患者に移植する臨床研究を行いました。
  2. 今回の臨床研究では、安全性の確認だけでなく、移植の対象疾患を拡充し、新しい治療法の有用性、具体的には視機能の維持、QOL向上等を目的としています。
  3. 令和3年度実施の角膜上皮細胞懸濁液移植から、移植細胞の生着の更なる向上が期待できる「角膜上皮細胞凝集ひも」へ移植細胞型の変更を行っています。
  4. 細胞調製作業の一部に汎用ヒト型ロボットLabDroid「まほろ」を利用しています。
    このロボットは、安川電機の子会社であるロボバイオティック・バイオロジー・インスティテュート株式会社によって開発された生命科学実験用のヒューマノイドロボットシステムです。安川電機の産業用7軸双腕ロボットに、研究に使う実験器具などのを操作する動きをプログラミングし、バイオ実験操作を可能としたものです。
  5. 本研究での目標症例数は50例、移植後の観察期間は1年間を予定しています。

6. 幹細胞移植は徐々に新しい段階に

これまでの幹細胞移植、iPS細胞由来の細胞移植は、「どうすれば移植が成功するのか?」に焦点を当てた研究が主に行われてきていました。

今後もそのような研究は再生医療の主流として行われていくと考えられますが、一方で新しい段階に入っていく研究も出てきています。

その代表例となるのが今回の角膜上皮細胞移植です。

この研究では、「どうすれば移植が成功するのか?」という段階から、「どうすれば成功率を上げることができるか?」に焦点が当てられて研究が行われています。

臨床実用化を視野に入れると、どうしても移植の成功率を上げる必要があります。

この方法でiPS細胞から目的細胞を分化させ、こういう状態で移植すれば成功する、という段階から、多数の症例で臨床試験を行ったところ、こういう方法であれば成功率が高いという段階は必ずクリアしなければならないハードルです。

7. 幹細胞移植の拠点となりつつある関西

日本において、ある地域に研究機関が集中する「研究都市」は、関東では筑波研究学園都市、そして関西では関西文化学術研究都市があります。

幹細胞の研究は、日本全国の研究機関で行われていますが、iPS細胞の開発が京都大学の山中教授によって行われ、京都大学がこの研究を中心に行うための研究施設、京都大学iSP細胞研究所を設立したことから、関西が引っ張っている印象があります。

関西文化学術研究都市は、大阪府、京都府、奈良県にまたがる京阪奈丘陵に位置する広域都市のために神戸市は含まれていません。

しかし神戸市には、神戸大学、理化学研究所などの研究機関があるため、広域都市には含まれていなくとも、かなり濃密な連携を取って研究が進められています。

京都大学、大阪大学に加え、山中教授も一時期籍を置いて研究を行っていた奈良先端科学技術大学院大学もあるため、一極集中することなく多様な研究を行う雰囲気ができていることも、幹細胞の研究を引っ張っている一つの要因と言えます。

今後、臨床応用が見えてくると、「○○の発見」、「○○の開発に成功」という華々しい研究結果ではなく、地道に成功率を上げる研究が進んでいくため、なかなか一般の人々の目にとまることは少なくなるかもしれません。

しかし、着実に幹細胞研究からの臨床応用は進んできており、いくつかの治療方法の実用化は近くまで来ています。

目次