中国で多臓器多組織の同時移植が成功

目次

1. 移植の黎明期

移植とは、組織や臓器を提供者(ドナー)から移植される患者(受給者とも呼ぶ。レシピエント)に移し替える医療行為を指します。

ヒトに対する移植医療は1950年代から1980年にかけて始まり、1956年に新潟大学で急性腎不全の患者に対して腎臓を移植する手術が行われました。

この時の移植は、臓器を定着させて移植した腎臓で生活を送るというものではなく、あくまで一時的な移植でした。

本格的な移植は、1963年にアメリカで行われた肝臓移植、肺移植です。1967年には南アフリカ共和国で心臓移植が行われています。

そして今回、中国では多臓器不全の解消、多臓器多組織移植のニーズが高まったとして、中国科学院で、心臓血管外科、泌尿器外科など16の学科でチームをつくり、ゲノム編集したブタからサルに複数の臓器と組織を同時に移植する手術を行いました。

移植手術は14時間かけて実施され、ブタから肝臓、心臓、腎臓、角膜、皮膚、骨格筋の組織を4匹のサルに同時移植し、肝臓と腎臓の共同移植、心臓移植、角膜、皮膚、そして骨格筋幹細胞を移植しました。

手術は成功し、現時点では4匹のサルは良好な状態を保っているとのことです。

これだけ大がかりな移植実験は世界でも例がありません。

かなりの準備と国のバックアップがなければこういった臨床試験は「生命をもてあそぶ」という意見によって批判されてしまいます。

移植治療の歴史はこういった批判との闘いでもあったわけですが、批判意見には正しいものと、マスコミのリードによって作られたものと、様々なものがあります。

ここで移植治療の歴史において、どのような批判がなされてきたのかを見てみましょう。

2. 日本における移植治療

日本における本格的な臓器移植は、1964年に東京大学で行われた慢性腎不全の患者に対する生体腎移植です。同じ年に、千葉大学では肝臓の移植が初めて行われました。

1968年には札幌医科大学で世界で30例目の心臓移植が行われました。ただし、この移植は大きな騒動となってしまいました。

移植後、患者は83日間生存しましたが、患者の死後に以下の事が問題となりました。

  • 提供者の救命治療が十分に行われたのか、移植をするために救命治療を故意に不十分なものにしたのではないか。
  • 提供者の脳死判定は適切に行われたのか。
  • 患者(レシピエント)は本当に移植が必要だったのかどうか。

移植を執刀した医師については殺人罪の刑事告訴もなされ、札幌地方検察庁による任意調査が行われましたが、嫌疑不十分の不起訴処分となりました。

1984年には筑波大学で脳死判定による膵臓・腎臓同時移植を行いましたが、手術後に患者が死亡したことで執刀医が殺人罪で告発されました。

これら、殺人罪の告発は検察主導ではなく、一般人が検察に対して殺人罪の告訴を行ったのですが、これについては当時のマスコミの報道姿勢にも問題があったようです。

札幌医科大の移植の場合、患者が生存しているうちはマスコミは手術を称賛していましたが、患者が亡くなった途端に批判一辺倒となり、批判する世論をリードしたという事実があります。

日本では脳死をヒトの蔀止めない傾向が強いため、マスコミ各社はその点をうまく利用し、販売部数、視聴率を稼ごうとしたという背景がありました。

当時はネットはありませんので、国民は新聞、週刊誌などの紙媒体、そしてラジオ、テレビから情報を得るしか手段がありませんでした。

当時のマスコミはそれをうまく利用し、世論をリードすることによって経営的な大きな利益をあげていたという背景があります。

3. 法整備によって医療・患者を守る

移植については、当時の日本人の心情的なものに訴えかけると批判的な意見が出てきます。

それを利用したマスコミが医師、医療機関をバッシングして利益を出すという構図が利用されている状況では日本の移植医療は世界に立ち後れてしまいます。

そこで国は、1979年、角膜及び腎臓の移植に関する法律を成立させました。

この法律によって、家族の承諾があれば死後の腎臓、角膜の提供が認められるようになりました。

これ以降、腎臓移植が年間150件から250件、角膜移植が1600件から2500件行われるようになりました。

これだけの移植例があれば、様々なデータを集めることができます。

この移植手術を参考にして、1997年には臓器の移植関する法律が施行されました。

本人が脳死反転したがって臓器を提供する意思を書面で提示、かつ家族が脳死判定と臓器提供に同意すれば、脳死移植が可能となったのです。

臓器提供のための意思表示可能年齢についてはこの法律では規定されていませんでしたが、厚生労働省のガイドラインに沿って、民法の遺言可能年齢の15歳以上が年齢のラインとされました。

この法律に基づく脳死移植は1999年に高知赤十字病院に入院中の脳死の患者から、本人の意思と家族の承諾によって心臓、肝臓、腎臓、角膜が移植されました。

しかしこの時も、マスコミ各社が病院に押し掛ける、臓器を輸送する車を報道ヘリが追跡するなどの行き過ぎた取材が見られ、大きな問題となりました。

海外では、臓器移植に関する本人の意思が不明であっても、家族の承諾で移植が可能な国が多いのですが、日本ではどうしても発行部数、視聴率を稼ぎたいマスコミと、マスコミでコメントすることによってお金を稼ごうとするコメンテーターが大きな声をあげてしまうため、移植手術に対するハードルは高い状態です。

そのため、欧米及びアジアの移植医療を行う先進医療技術を持つ国の中で、日本は臓器移植例数が極めて少ない国となっています。

しかし、移植を希望する患者は日本国内で増加しており、移植を受けられずに死亡するケースも多く見られます。

そのため、国外移植を選択する患者も少なくありません。

さらに特に15歳未満の脳死後臓器提供については、日本では法律的に不可能です。

このため、臓器のサイズの関係で子供からの移植が必要な子供については、日本国外に渡航して移植を待つしかありません。

この移植には数千万円から数億円の費用が必要なため、クラウドファンディングが行われることも珍しくなくなりました。

しかし、これはお金の力で臓器移植の順番を上げてもらう、その国の患者が待たされるという批判を生みました。

そして自国の患者は自国で治療すべき、という国際的な批判が多く出ましたが、この批判噴出に関して日本国内ではほとんど報道されず、多くの国民は知ることができませんでした。

4. 政策決定者と医療従事者の苦悩

この批判を重要視した政府は、2009年に法律の改正が行われ、2010年以降は脳死移植は本人が提供拒否の意志を示していない限りは、家族の同意が得られれば認められるようになりました。

これによって15歳未満のドナーからの移植が可能となったのです。

臓器移植に対する意見については、その国の文化的な背景、宗教的な背景が大きな影響を与えるとされています。

実際に調べてみると、確かに文化、宗教的な背景に沿った国民世論が各国で形成されています。

日本でも文化的、かつ宗教的な背景からの意見がないわけではありませんが、やや特殊な状況にあるようです。

それは、マスコミによって世論が形成される、という環境です。

マスコミでニュースの報道方針を決定する立場の人々は、基本適任は「会社に利益をもたらす」ことを最優先に記事を書いたり番組の内容を決めています。

そしてこういった情報で国民の意見が形成されるわけではなく、「マスコミが自分たちの言いたいことを国民の意見として発表してしまい、何となくその空気になる」という状態が日本の現状です。

今回の中国の多臓器同時移植は、生命倫理から批判の意見もあります。

しかし、そういった中でも「現時点で決められている手続きをクリアすれば実施が可能」という行動原理で今回の移植実験に中国が踏み切ったのは、医療先進国としての中国を確立させようとする産学官の目標からでしょう。

現時点で日本は幹細胞を使った再生医療については世界のトップグループを走っていますが、中国の追い上げによって、「先端治療を受けるためにお金持ちの日本人が中国へ渡航する」という現実も考えなければならない状況になりつつあります。

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